1978年の日本版スパイダーマン
もちろん観てはいたが、既に19歳の僕には「何でスパイダーマンがクルマに乗ったり巨大ロボに乗らにゃアカンのだ」が、とうしてもあった。
いやその前に、池上遼一さんの漫画版スパイダーマンを読んでいたのでそれが強烈で。
勿論これでは子供には売れないが…
あとこれは僕の自己満足ですが、この4枚の絵の共通点。
【ダウンチューブのメーカーロゴがハッキリと読み取れる】
せっかく描かせてもらうんだから、メーカーが「よくぞ描いてくれた!」って物にしたい。
劇中の「決メ」の所もこうしてます。
足でロゴマークが隠れたりしない。
正確な元絵を提供しても、こうなって行くのが今のAIさん。
あくまでも「今の」だ。
10年先には笑い話になってると思うよ。
手塚治虫1960
「エンゼルの丘」より
主人公ルーナ姫のクラスメイトの女の子。
あまりに可愛いので描いてみたが、1960年なら当時1歳の僕は 性癖歪まずにすんだのは幸運だったのか。
いやモー DNAレベルで刷り込まれてるかなー。
https://t.co/KdMfF2H22I
【二度目の人生アニメーター】で何度も出て来る「東光現像所」は、東京現像所がモデルです
アニメーター、いえアニメ、映画関係者なら等しく皆 ここで顔を揃えて初号試写を観ました
様々な思い出がある、日本のフィルム文化を支えてくれた所です
ありがとうございました
精神論になりますが、自転車は【ただ正確に描いただけでは、漫画では足りない】が根本にあります。
その向こうに生活が
乗ってる人の時間が見えるように描きたい。
手描きで自転車を描く意味はそこだと信じています。
1996「あの空とおんなじ」
1999「並木橋通りアオバ自転車店 第一話」
これは読者が自転車に、全く知識も興味も無くても
【何となく実在する本物じゃないか?】を感じてもらえるように描きました。
作業としては素材写真のトレスダウンですが、それだけじゃなく魂を込める。
多田くんのセリフは、あの頃僕がスタジオの仲間に言いたかった事。
うちが本気でメカ物やったらどうなるのかを知りたかった。
その後僕はスタジオの帰りに、吉祥寺のアートミックに寄り メカ物仕事を山ほど引き受けるようになりました。
うちのスタジオのクオリティーでメカ物を描く!の実践です
そこへ【特撮のエフェクト仕事】なんてのが突然やって来た。
社内でそんなのやりたがるの、僕しかいないので喜んで描いた。
この辺の経験が、【二度目の人生アニメーター】で出て来ます。
1980年頃のアニメーター宮尾のメイン仕事は、
出崎・杉野アニメやスタジオぴえろや日本アニメーションの名作路線。
つまり【メカ・エフェクト成分は1ミリも無い】
無いので憧れもあった。
仕事が来ればメチャクチャやりたいと。
でもスタジオの仕事としては取らないのも分かってた。