先にピックアップした15名を見るだけでも『おもしろ県民論 岡山はすごいんじゃ!』は、“奇策の使い手=突破者”たちの群雄伝のような趣があるが、一方、トキワ荘メンバーでただ一人華咲かなかった岡山出身の漫画家・森安なおやについては特に頁を費やし、詳細に語っていた。https://t.co/yZ7j9BeW9p
@ray_sawatari @ishikawasei1 「少年ジャイアンツ新聞」の発行に続く形で1964年11月号からちばてつやによる漫画「少年ジャイアンツ」連載が始まります。第一回目の初めに正力亨の言葉が載っています。少年ブック《独占》とは言え、少年マガジン連載の「黒い秘密兵器」は65年11月まで続いていました。
『がきデカ』第1巻の2話より、「火を消せーっ 大震災のときも火でやられたのだ〜っ」という映画『日本沈没』のパロディ。映画封切りからから9ヶ月後の掲載作品。https://t.co/b8ZWT4Wyzo
@ray_sawatari @ishikawasei1 この企画が翌月発売の「少年ブック1964年6月号」で告知された「少年ジャイアンツ新聞」の発行。《巨人戦に500名招待》とありますから、元を正せば《独占契約云々》は、チケットの購入とのバーターだったと推察されます。
@tokoyo 「ぼくら」1966年10月号(9月3日発売)に、「きみも怪獣をつくろう」が載っていました。すばらしい記憶力ですね。「ぼくら」の方が先に挙げた2色の記事よりも古いですね。
@TomoMachi 愚直に違和感を唱えれば唱えるほど、あちらさんの売り上げに加担してしまう、というジレンマが今回の物件にも見られるようで、なんともやるせないです。だからと言って、声をあげないわけにはいかない問題。