この台詞が全て。
彼はいつの日か現れる「自分の生まれ変わり」に「世界の支配者の座」を引き継がせるのが望みだったのだ。
おそらく父親より遥かに能力の劣る「我が子」は、彼にとっては「いつの日か自分の同族を生み出す為」の手段に過ぎなかったのだろう。
彼は最後まで「人間」では無かった。 https://t.co/gnRxhhjjfO
80年版アトム世代て、結構「アニメは観てたが原作知らない」人多い(ワシの級友達もそうやった)ので解説すると。
80年版のアトラスは、原作の「電光人間」と「アトラス」と「コバルト」のキャラやエピソードを混ぜた、新しいキャラ。
「悪い心を持たないロボットは不完全」というテーマは‥
続く https://t.co/pLC11IM0Np
もう昔っからこの一番回好きでなー💧
ロボッ子男児の魂揺さぶりまくり💦
ジャイアントロボにしろザボーガーにしろ「ただの機械の筈の相棒が、機械を超える瞬間」に男子は弱いのだ‼︎笑(劇光仮面でもやってたろ?)
そうだろ、皆んな⁉︎ https://t.co/RTOQo8LCZU
今回の判決に↓を安易に引き合いに出す人、ちゃんと原作読んでないか、読める知性が伴ってないよ。
描かれている状況も、主題も全く異なるやろ。
面白半分で引用するの、手塚先生は勿論、被害者や裁判に関わった方全員に失礼ですよ。
「感情抜きに、最も合理的な結論と解決策に到達し、淡々とソレを実践する」バビル2世もまた、一世に近い「上位存在や超越種族」のメンタルの持ち主であり。
だからこそ、感情に振り回され、決して神にはなれなかった「足掻く者」ヨミに、我々読者が共感し、惹かれてしまうのであった。 https://t.co/TCjPuSEDlf
だからこそ続編の101では「最強の敵である、もう1人の自分」との闘いから解放され(101の敵はあくまで彼の劣化コピーばかり)、遥かに感情豊かに描かれる浩一キュン❤️のギャップにファンはメロメロになる訳で。
「101」は数ある「名作の続編」の中でもかなり上位に位置する、続編の理想形だと思う。 https://t.co/rtKSlstSZn
浩一って「バビル2世になった」以後、山野浩一だった過去を一切無視してるんよね。
「バビル2世」という物語は、超越者となった浩一の「性格」は描いてもそれ以前の「過去や積み重ねた物」は全く描かないんよね。
あくまで「バビル2世として積み重ねた人生」の物語で、それは101でも変わらない。 https://t.co/CUeJkKn0Sk
「バビル2世の方がヨミより非道」てよくネタにされるが。
正確には「ヨミやその部下が仲間を見捨てられない」という心理を利用して「最短で合理的な手段を取っている」だけなのだ。
こういう場面でモタモタメソメソ悩んでないのが「バビル2世」に限らず横山作品のスピード感であり、魅力なのである。 https://t.co/5RvKd5SjXU
ジョジョのラスボスの目的は「人間や生物としての弱点の克服、より完璧な理想の為の弱点の排除」なんだよね。
自分がより強くなる為に「周囲の弱い存在」を平気で踏み躙るという「悪」。
同時にそれは「己の弱さに対する恐怖(と克服)」に固執するという「人間そのもの」という矛盾を内包してる。 https://t.co/NHshdpoYJL
「全てを決闘の勝敗で決める」だけだとまだ「まあ学園漫画の累計の記号」として一致しただけだろーなーて、気にはならなかったんやけど、今回のミオリネとスレッタのやり取りが重なるともうコレにしか見えない笑
しかも主人公の親、仮面被ってるしな‼︎笑
#水星の魔女 https://t.co/O7Hpbg5Gp0