60年代から70年代までの少女漫画で、王子様と呼べる存在の数はとても多く枚挙に暇がない。
顕著な例では、1966年の水野英子の漫画『ハニー・ハニーのすてきな冒険』に登場する怪盗フェニックスが、ヒロインにとって等身以上の存在=神秘的な王子様とも言えるイメージで描かれていた。
その最期も自身の権力を象徴する高い建物ごと蹴り落とされるというのが、上手い符合の当て嵌め方でもある。
キャプテン・クロもそうだが、こういった敵のバークボーンと絡めた倒し方は、意図的にしろ偶発的にしろ非常に良く出来ていた
『ONE PIECE』に関しては、敵をブッ飛ばすその勧善懲悪さが好きだ
全編に渡って状況をかき乱す最大の宿敵・柿崎だが、終盤直前に死亡する役割なので意外にもラスボスではない
全身蜂の巣になりやっと息絶える生への執念からなる最期が凄まじい
ラスボスの名前は毎回忘れても柿崎憲の名前は瞬時に出る。そんなインパクトを無意識に植え付けた名悪役キャラクターであった
でもハツカは、男の娘キャラとしての描写とデザインはなかなかに刺さるキャラクターだ。
『だがしかし』を経て作風が植芝理一の『ディスコミュニケーション』に、段々と近付いていっている様な気もする。
肝心の『黒船編』の内容だが、この時点ではまだ手探りといった感じで無軌道であり洗練された物ではない。
代表作『ザ・ムーン』のロボが先行しての登場に加え、ラストのオチは終末思想そのものだ。幾分ニーチェに影響を受けた節があり、「神は死んだ。」の通りデロリンマンは本物の神でもあった様だ。
ジャンプ版ではギャグマンガとしての面が強かったデロリンマンだが、オロカメンの描写を含めマガジン版ではその作風は重みを増し「人間の幸福とは何か?」といった哲学的テーマをも帯びていく。
そしてジャンプ版のラストである『黒船編』は、その作風の変化の間を埋めるミッシング・リンクと言える。
当初の少年ジャンプ版でのオロカメンは一個人であり、まだ後の作風を代表する様な大きな存在ではない
マガジン版で新たに始まった中でのオロカメンは、デロリンマンにしか見えない内なる存在、オルター・エゴとして描かれる
散々物申してきた説法も、デロリンマンの不信から生まれた自問自答という訳だ
『源平討魔伝』がトレンド入りしとる!!
オリジナルのアーケード版をやるには、PSのナムコミュージアムを起動しないといけないので結構面倒臭い。
手元にあるPCエンジン版も微妙にAC版とは違うので、この際配信されるのを買うのもアリかもしれない。
『ドラゴンボール』の中で最もカタルシスを感じさせるトドメの演出は、セルとの決着シーンであろう。
悟空と悟飯が力を合わせて放つ親子かめはめ波は、従来の少年漫画らしい勢いによる"熱さ"と悪役を吹き飛ばし消し去るという定番イメージをも植え付けた。