最近セラムンの原作漫画を読んでるんだけど
「タキシード・ラ・スモーキングボンバー」という素晴らしい必殺技を知った。
なぜアニメ版に出さなかった・・・・・。
私がこの作品を好きなのはやっぱり宮崎駿みがあるからだと思う。
宮崎さんは勧善懲悪的対立構造を基本取らなくて、当初完全に敵だったキャラクターが後々仲間になったりする。モンスリーとかクロトワとか。
今作のディクソンにも同じものを感じるんですよね。
例えばここの『ひかりさんとのLINEのやり取りをあえて神妙な雰囲気にしてる』という考察。
原作の該当回はやっぱり「肉声の入った普通のやり取り」になってる。
要は演出的な狙いがあってアニメ化の際に原作から意図的に変えた、ということ。
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例えばブラックジャックのトリトンとか。動物が人間の事情を知り得ないから切ないわけですよ。動物もので感動を生むにはこの構造は絶対必須。
Strayのとある局面ではこれが生み出せていない。猫チャンがしっかり事情を理解してしまっている。
改めて見ると上映時間100分未満(97分)のテンポの良さも素晴らしい。この辺りも若おかみとダブる
ポンポさんもこれには満足だろう。若おかみは絶賛してたようだけど、肉子ちゃんはまだ見てないのかな。
攻殻2045 S2観賞後記
ぶっ通しで観賞したので頭冷やすために仮眠し、クールダウンを挟んでもやっぱり全然納得出来ない結末。
ナウシカでのヴ王の「そんなものは人間とは呼べん」を思い出した。
特に、ロンハロとダークナイト両作で明確に打ち出されていた
『ヒーロー:ヴィラン:マフィア』という三つ巴の対立構造が、ザ・バットマンでは全然構築されていないのが引っかかる。
ロンハロでは「お前らコスプレ野郎が出しゃばり始めて俺らのシマは無茶苦茶だ」とマローニが嘆く場面がある。
「映画になるとカッコよくなるジャイアン」という定型句があるけど、しずかやスネ夫も映画版になると特有の役割を与えられる。
五人のキャラと役割が分担されているからこそ骨太なドラマが作られる。それぞれが起きる状況に対して、想定されるべき違う反応を見せてくれる。
「自由を我らに」は反乱軍のスローガン。この合言葉の元に多くの闘いと犠牲がある筈。これを部外者に「なんちゃってw」とか言わせる神経が分からない。
今回の脚本は総じてバックボーンたるピリカの事情をちゃんと深刻に考えてないことが随所に伺える。