それは「しずかだけがのび太の異変に気付き、見捨てなかった」ということを強調するためである。
話の発端部に「のび太の将来の嫁」ということが挿入されているのもポイントだ。
つまりこの回では、のび太の異変に気付かない周囲や、ドラえもんや親でさえ見捨てるという描写と対比し、「のび太としずかだけの特別な繋がり」が描かれているのである。
しずかは嫌悪感に耐えながらのび太の元に辿り着き介抱する。そして心底ほっとし、のび太の軽口で我に帰り、怒り出す。
「あたりまえでしょ!!お友だちだもの!!」
のび太の珍しい表情にも注目したい。
「あなた弱虫よ!!先生にしかられたくらいで……。」
ここで泣き出す。しかし、涙を浮かべつつも身振り手振りと「……。」から、叱咤が続いたことがわかる。
「泣きながら叱り続けた」のである。
ここでは「泣く」のは本分ではない。「叱る」ことだ。
では、なぜここで「しずかが泣く」のか?
この回ではしずかの本当の優しさと芯の強さが描かれている。この回で最も重要なのは「このコマ」なのである。
「STAND BY ME」はどうか。
この映画の該当シーンでは、虫スカンの臭気に耐えるシーンで感動BGMが流されている。これが個人的には「全く違う」
そもそもこのシーンはそんなに重要ではない。
いつもは「のび太さんは意気地なしじゃないわ」とか庇ってくれるのに
「弱虫よ!!」と本気で怒るのがほんとにジーンとくる…。
もしかしたら庇いつつも心の底で思ってたことが堰を切ったように表出したのかもしれない。
たったこれだけの台詞に様々なバックボーンを感じさせるF先生の言葉選びの凄さよ。
でも、作品を作ってる人に対するリスペクトは忘れちゃいけない。
自分の作品と批評の基本理念はエスパー魔美の「くたばれ評論家」だけど、今のSNS時代はアレがまかり通せるとは思ってない。
だから今回のSBMドラの記事には作り手の名前は書かなかった(タグ含め)
特定個人に対する誹謗中傷は避けたい。
基本、ちゃんと物語として説得力のある動機を拡張してドラマにしてる。
オチになってる突拍子もないことを拡張するってのはどうなのかなぁ。
漫画の単行本はほとんど持ってなかったので、同じ本を何度も読んだ記憶がある。
そこでドラえもんの「笑い」に染まった。原作黄金期は何度読んでも爆笑する。
14巻は「スネ夫を殺してぼくも死ぬ」が最高に面白かった。
ではしずかがのび太の元に向かうシーンにはどういう音楽が必要なのか?
動いてるのはしずかだけ、のび太は危機にある。しずかは他のことを考える余裕はなく「のび太を助けなくては」という思いだけで、ただひたすら前進する。
シーンの主眼たるしずかにとっては「切迫した場面」以外の何物でもない。
ここでは「切迫した状況」「それに負けず必死に行動するしずか」という感情が増幅されればされるほど、観客の心の中で「しずかの行動の尊さ」が浮き彫りになるはずである。
原作もそうだ。しずかの必死の形相が最小限のコマで描かれている。
手を握って微笑む暇などない。安心するにはまだ早い。
この回が何より良いのは「泣かせにいっていない」とろこだ。
悪く言うわけではないが、「泣かせにいく」パターンとしては
「主人公が誰かのために、普段とは比べ物にならない努力や行動を起こす、目一杯感情を発露する」という「劇的な要素」を含ませる手がある。