4/29読売。この番組の感想が紹介されてるが、様々な事情で居場所のない若者の気持ちに想いを馳せる人が皆無。担当者がそういう投書を選んでるのかもしれないが。とりあえず安全な施設に保護して専門家が話を聞き、緊急性(虐待など)があったら行政に繋ぐことができる仕組みを充実させるべきではと思う。
4/24読売夕刊。「女性は群れるもの」というステレオタイプに対する犬山さんの考え方に共感。グループでいようが一人でいようが本人の好き好きとした上で、「そもそも、学校や職場など、周りの人を選べない場所で気が合う人がいるのってすごく運が良い」と。
ハンガリーのオルバン政権、新聞の経営権をおさえ、テレビも公共放送から国営に変えた。政府系の新聞には広告を出し、反対する新聞は干す。実際には難民はすでに問題にならない数なのに、政府・与党は圧倒的な物流で情報を流し国民は煽られた。極東の国が真似しそうだ。
毒舌系のタレント多過ぎだと思う。言いにくいことを言ってもらって溜飲を下げるってのも理解できるけど、不機嫌のオーラ振り撒いてる人とか見ていて不愉快だし、こういうのに慣れると明らかに言うべきでないことまで「本音を言ってくれた」って受け入れちゃう土壌になると思う。
3/17読売。そもそも政治家なんて批判があって当然。いわんや総理をや、でしょう。これが実現したら、官房機密費ぶち込んで自分を褒めてくれる番組や気に入らない個人・団体を攻撃する番組作らせる可能性だってあるんじゃない?クロスオーナーシップみたいな既得権も問題だけど、こっちの方が数段危険。
「知的障害者に一番優しくしてくれるのがヤクザのお兄さんたち。その結果、男の子はヤクザの使い走りになり、女の子は売春させられる」「新規受刑者の1/4〜1/5に知的障害の可能性があるともいわれています」…彼らのサポートは勿論大事だけど、知的障害者の冤罪という話もあるんじゃないかと思ってる。
「そもそも、ギャンブルに入れ込んだ顧客の散財に期待するような成長戦略は健全と言えない」…カジノ法案に対する読売のスタンスは全くブレてない。
助けが必要な少女達に対する話だけど、「溺れている人に藁をつかむなと説教しても意味がない。ちゃんとブイを投げるべきだ」って、他でも言えること。最近また自己責任論が喧しいけど、自己責任で人を切り捨てていくと不安や不満が増幅して社会が不安定になるってことも理解して欲しいところ。
『奇(あやこ)子』読了。家父長制が残る地方の旧家を舞台に男達はそれぞれの欲望を実現しようとする。所謂「田舎」のまとわりつくような空気感が伝わってきてなんとも言えない気分になる。そこに戦後の有名な事件が絡み合って物語は進む。ラストは少々唖然としたが手塚治虫はやはり凄い。
2/18読売「03年にハンガリーで、黒髪、つり目、出っ歯、眼鏡という扮装の「日本人女性」がたどたどしいハンガリー語で突撃取材するという悪趣味なテレビ番組が放送され、日本大使館が抗議したことがある。この時のテレビ局の弁明も「意図はない」だった。「やられた側」になってみると不快さが分かる」