そこで舞台を昭和30年前後に設定。映画が娯楽の王様であり、少年少女雑誌で漫画と小説がまだせめぎ合っていた時代(山田章博氏『ラストコンチネント』が先駆)
ヒーローとヒロインは戦後民主主義に沿って活動し、ヴィランは大日本帝国の復活を目論む元軍人たち。
こんなところでいかがでござんしょ。
小松左京先生の絵コンテ……どんなものだったろうかと想像する。その当時は、漫画家モリ・ミノル時代のことは絶対的タブーだったようですが。
ああオモチロかった、 #インディ・ジョーンズ #クリスタルスカルの王国 。毎度の画像ですけど、映画というのはやはり作り物の「世界」を創り上げるもので、手塚治虫は紙の上でそれを再現したかったんだろうなぁ。小説でそれやるといろいろ文句を言われるんだけど、かまうもんかという感じでやってます
#インディ・ジョーンズ の日本版をずっと考えているが、問題なのはヴィランの設定。#クリスタルスカルの王国 ではソ連だが、戦後の漫画にはそれに匹敵する存在があった。戦後日本の転覆を狙う旧軍人たちだ。河島光広『ビリーパック』海底ギャングの巻より。 #インディジョーンズ #金曜ロードショー
#ミステリーのタイトルに〜湯けむり殺人事件を付けて雰囲気を変えてみる
ミステリと温泉の関係は古いような新しいところがあって、昔は探偵とか語り手が保養のため湯治に行って……というパターンが多く、つげ義春『四つの犯罪』や「に来た男」(『生きていた幽霊』所収)はその伝統を踏んでいるが、
それならば、貸本から雑誌進出時の さいとう・たかを先生のぎっちりコマ割り形式で! https://t.co/hRF6agKFAe
更に我田引水すると、小説における「視点」の重視は漫画における「パース」の厳正化ではないかと思っています。単に僕は絵が描けず、空間センスもないからの偏見ですが、手塚流の実際にはこう見えるはずのない「漫画パース」は「神の視点」と並んで捨てるに惜しいものなのではと思います。
ただ、ハードカバー版『ビリーパック』最終9巻のラストページがこれですからね。各巻の分け方もエピソードをぶった切って非常にあくどく、「作品をきちんとまとめて出し直す」とは程遠い出版態度となっています。 https://t.co/QsJJnBjSE3
獅子神さん推奨のメソッドに「なるべく古典的な、必要な線だけで構成されており、目の描き方もシンプルな漫画を一つ選んで、その人の絵を模写する」というのがあったが、これはちょっと古すぎる気もする。1954年としては、女の子はすでに可愛いけどね。香住春吾・原作、伊勢本史郎・画。
昭和20-30年代の少年少女探偵小説は夢中になって集めて読んだが、漫画はそうでもない。やはり「物語力」が圧倒的に劣っているからで、ただ例外は河島光広「ビリーパック」。ただビリーはむしろ青年探偵で、少年ことに少女のかわいさ、かっこよさとなると桑田次郎氏になるのではないだろうか。
あったあった、これだ。「がきデカ」のまさに第一話。しかし昔はこんな細かいところまで読んで笑って、覚えていたのだな。全文書き起こしたいが、センシティブ警告を受けてもアレなので、各自目を凝らして読んでください。 https://t.co/1oX85j6gGG
昔は僕と森江春策君は同い年だったのだが、彼は年を取らないので年齢差が開き、タメ口で話させていいか迷うようになった。もうしょうがないので、少年探偵の彼にダメ新聞記者の芦辺拓が助けられるエピソードでも書こうかと思う。いわば「まぼろし探偵」の黒星十郎記者役。画像は「まんだらけ」より拝借