藤子不二雄A『まんが道』では、中1?のときに最初の肉筆回覧誌「マンガ少年」を作り、そのあと現物も残る「少太陽」を作ったことになっている。この二つは同一、ないし前者はフィクションではないのか。愛読者・研究者の諸氏はどう見ておられるのかご教示乞う。
>RT 僕もご多分にもれず、小説の前に漫画に出会ったわけだが、絵を描く方に向かわなかったのは(画才のなさはさておいて)、ギャグマンガ以外は少年漫画=スポーツ物のイメージが焼き付きすぎていたから。どう考えても自ら創ってみたい世界ではなかった。和田慎二先生もひょっとしてそうだったのかも。
葛飾北斎から版元への作画指定。彫師が勝手に下まぶたを添えないようにとか、鼻の穴に影をつけず一本線でつなぐようにと指示し、いま流行の目の描き方は「私はいやいや」と拒否っている。『葛飾北斎伝』より。
かねひさ和哉さん@kane_hisaのおっしゃる時代色ですが、たとえば「昭和30年代を舞台に、当時の少年漫画風に描いた少女探偵もの」を夢想するとして、当時の少年誌にはヒロインものは絶無なのです。だから描いてはいけないということはなく、存在し得なかったからこそ過去作品を捏造していいと思うのです
まぼろし探偵やビリーパックは弓月光先生の「クソガキ」とは違うと思いますが、要は「大人の思惑で『ジャリはジャリ出しときゃ共感するだろ』的に置かれたキャラ」でしょう。ビリーパックでも編集の差し出口らしきキューピー君というおバカ助手が出てきて、こりゃ人気なかったろうなと思ったもんでした https://t.co/w9SRJWHWWG
「権力を持った生徒会」の件、タイムライン上でのやり取りだけで、トゥギャってはいなかったかもしれない。お騒がせしてどうもすみません。野間美由紀さんの『パズルゲーム☆はいすくーる』のごく初期にこの設定が確立しているところを見ると、すでに共通認識はできていたのかもしれませんね。
河あきら先生の未収録作品「わが同志!」(別冊マーガレット1976年2月号)、漫画好きのあまり自分でも描き始めた女の子が有名な漫研に入るが、かえって疎外感を味わい、おなじ初心者たちとの出会いで元気を取り戻してゆく。コミケ前夜、同人誌印刷所などなくコピーすらままならない回覧誌時代のお話。
前半に登場する上手なグループの中で、初心者であること以上に「女性」であるために居心地の悪さを感じるあたりが痛々しい。その分、新たな仲間との出会いに心が躍る。一人で描き、発表することが困難だった時代の「同人誌」の意味が伝わってくる。ZINEをめぐる談議で、つい引っ張り出してきた次第。
#ゴジラ対ヘドラ は中1の臨海学校のときに誰かが持って来てた別冊少年チャンピオンのコミカライズ(by一峰大二先生)で読んだ。そして、それで十分だった。3枚目は唐沢なをき先生のツイートより。確かにこのコマは印象的だった。元の映画? もうどうでもいいです。
#ジークアクス 4話観。連想したのは河島光広「ビリーパック」麻薬密売団の巻のマダム。たぶん諜報活動で帝国日本のため働いたあと、子供が空襲で死んだと誤解し復讐心から犯罪団を組織する。自ら戦士となったシイコ・スガイの闇はさらに深い。戦後は遠くなったが、作り手は何かを予感したか #GQuuuuuuX