1950年生まれ71年デビューの和田慎二先生と1959年生まれ81年デビューの竹本泉先生を少女漫画に向かわせた、当時の少年漫画のあきたりなさ、行き詰まり感とはどんなものだったのか。この時期の少年誌のことはよく知らないが、具体的にはどんな作品、どんな作風が主流だったのだろう。ご教示乞う。
#好きな国産女性ヒーロー作品
何べんでも言うぞ。西條八十『あらしの白ばと』こそ至高の少女冒険活劇だ。各方面の尽力でテキストはそろった。入力データもある。あと少し(?)で商業出版にもこぎつけたんだ。とにかくこんな面白い小説はない。乱射乱撃、戦車に飛行機、殺人に拷問、そして百合も!
さいとう・プロによるコミカライズ版『日本沈没』。極めて原作に忠実で、文字だけでは追っつかなかったビジョンの補完に重宝しているが、あらためて本作のディスカッションドラマとしての目配りに気づかされる。①国民の代表としての「野党」の存在 ②日本人の存続を危うくする“ネトウヨ”的なるもの https://t.co/iXYdjH4qo9
唐沢なをき@nawokikarasawa・かねひさ和哉@kane_hisa両先生の言う「大人漫画」については、手塚治虫『漫画教室』のこの回参照(引用の度を越えていたらご容赦)。確かにペンタッチも内容も違う二つのジャンルがあり、手塚自身も漫画家として認められるためには大人漫画に進出する必要があったのです。 https://t.co/qDrX4Oi6Rq
引き続き「大地底海」。もうはっきり『日本沈没』などの萌芽が感じられますね。このスペクタクルと空想性は当時の日本の小説の容れるところではなかった。ラストは断片しか見つかっていない「ぼくらの地球」
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ゆえあって和田慎二先生「快盗アマリリス」(『怪盗アマリリス』の原型短編)を再読してるんだけど、省略話法の巧みさに驚いてる。少女怪盗の椎崎奈々は活動休止中に実家のある町に帰り、そこの高校に転校。町ぐるみ国ぐるみの陰謀に気づくんだけど、このページにご注目ください。眼鏡の女の子は(続)
鈴木光明先生著『少女まんが入門』(1979)より、ありきたりなストーリー・ワースト10。ひょっとして世代が交代しパターンが一巡して、逆にこれが新鮮に感じられたりはしてないか。なお、スキャナーにかけたら本が割れかけたので、これ以上はやめときます。
河あきら先生の未収録作品「わが同志!」(別冊マーガレット1976年2月号)、漫画好きのあまり自分でも描き始めた女の子が有名な漫研に入るが、かえって疎外感を味わい、おなじ初心者たちとの出会いで元気を取り戻してゆく。コミケ前夜、同人誌印刷所などなくコピーすらままならない回覧誌時代のお話。
実は4コマ漫画は「起承転結」を単純に当てはめるものでないことは、昭和20年代に手塚治虫が指摘しています。「起・承・承・転結」だと。『漫画大学』より。字面にだまされてはいけない好例。 https://t.co/Va67IzEFAS
手塚治虫『漫画教室』。『漫画大学』とカブる部分があるのと、サイズの問題で全集未収録となったんだろうけど、凄いですよ。道具、ペンタッチ、編集部訪問、自作をお手本にした解説……ほんとに漫画とプロアマ問わず漫画を描く人々を愛してなくちゃ描けるもんじゃない。
小松左京先生の絵コンテ……どんなものだったろうかと想像する。その当時は、漫画家モリ・ミノル時代のことは絶対的タブーだったようですが。