戦後14年。傷痍軍人らへの恩給問題で揉めていたこの頃、新宿では軍隊キャバレー「ダイフク」が人気に。店舗は「陸軍」と「海軍」に分かれており、敬礼するボーイに迎えられて“入営”し、高らかに軍歌を歌い合うというコンセプトだった。(昭和34年)@retoro_mode
「漫才協会」の前身「漫才協団」団員一覧(平成12年)。現在は浅草の東洋館を定席としているが、昭和30年に「漫才研究会」として発足した当時はロキシー劇場(戦前の金龍館。跡地は現在のROX3G)にわずかな日数で間借りする状況だった。@retoro_mode
【昭和のテレビ】サントリー笑待席 昭和43年
『笑点』を立ち上げた立川談志は、並行して類似番組に次々と関与する。その一つがこの番組で、『笑点』同様に司会を務め、収録場所も後楽園ホール。内容は漫才と対談コーナーで構成したが、約半年で打ち切られた。@retoro_mode
通信販売大手・千趣会(ベルメゾン)創業時の社業・こけし人形販売の広告(昭和37年)@retoro_mode
医学博士の髙橋孝太郎が5年の歳月をかけて開発、昭和初期に大ブームを起こした滋養強壮飲料『どりこの』。その製造法は博士のみが知り、謎に包まれていたが後年の研究で成分上は「砂糖水」であることが分かっている。なお、博士は何を思ったか『どりこの鍋』という鍋も考案している。@oldpicture1900 https://t.co/gQfHMZbmAp
【昭和の広告】メヌマポマード 昭和11年
実業家・井田友平が国産の植物性調髪油として大正6年に発売。商品名は出身地の妻沼町(埼玉)に由来する。広告モデルは歌手の中野忠晴で、率いたジャズコーラスグループが人気を博し、この年には『大阪タイガースの歌』を吹き込んだ。@retoro_mode
【昭和のファッション】ジャンスカ 昭和40年
近年再び人気だというジャンパースカートを着る柏木由紀子と松本めぐみの二人。『女学生の友』昭和40年11月号所収 @retoro_mode
初代・内海突破が経営した喫茶店「鳩ポッポ」、広告を調べると多店舗展開していた模様。画像は昭和36~41年。@retoro_mode https://t.co/GhNrsc9Tg9
名作コント「立会演説会」や「当たり屋」が生まれた『コント55号の世界は笑う!』(昭和43年~45年)。フォンタクトはここでも「一人オーケストラ」を披露。@retoro_mode https://t.co/63NXWs5Mbv