医学博士の髙橋孝太郎が5年の歳月をかけて開発、昭和初期に大ブームを起こした滋養強壮飲料『どりこの』。その製造法は博士のみが知り、謎に包まれていたが後年の研究で成分上は「砂糖水」であることが分かっている。なお、博士は何を思ったか『どりこの鍋』という鍋も考案している。@oldpicture1900 https://t.co/gQfHMZbmAp
ロッテグループの創業者、辛格浩(日本名:重光武雄)氏が亡くなられたとのこと。昭和21年「ひかり特殊化学研究所」(ロッテー化粧品本舗)を設立して石鹸やポマードを製造、翌年にはロッテ製菓本舗を設立し、チューインガムを製造して急成長。一代で巨大な企業グループを築いた。@retoro_mode
【あの日のラテ欄】昭和48年6月8日(金)
年々深刻化する大気汚染。『13時ショー』は全国の視聴者がその被害を訴えるが、この年には光化学スモッグの発生が過去最高となる。黒柳徹子はこの番組で約3年司会を務め、後番組〈徹子の部屋〉にも引き続き出演し今年で49年目を迎えている。@retoro_mode
【あの日のテレビ欄】昭和41年5月15日(日)
前身番組〈金曜夜席〉をリニューアルし、昨日で放送2860回・57年の歴史を重ねた『笑点』。初回のこの日は演芸が立川談志の〈源平盛衰記〉、〈ものを聞こう〉コーナーが談志と柳家金語楼の対談、そして大喜利の三部構成だった。#笑点 @retoro_mode
ドリフから脱退した宮本二郎が不二家ミュージックサロン、この年にドリフに合流する仲こうじ(仲本工事)が銀座アシベ、上野テネシーには加藤英文(加藤茶)。
【昭和の芸能】カツラ変装 昭和41年
「週刊平凡」誌より、“不ケー気なんかふっ飛ばせ”と題した企画。人気芸能人がカツラ着用で街を闊歩するだけの牧歌的なものだが、私事を執拗に追いかけ、スキャンダルに仕立て上げる昨今よりは良いのかも知れない。@retoro_mode
【あの日のテレビ欄】昭和44年6月9日(月)
目まぐるしく変貌する街の姿をヘリで空撮した『東京の空の下』。同コンセプトは後の〈空から日本を見てみよう〉に見られる。『なんでも引きうけ候』は〈笑点〉を降板した三遊亭小圓遊が主役の時代劇で、毎回トンチを働かせて問題を解決する。@retoro_mode
【あの日のラテ欄】昭和46年1月28日(木)
『スターはまかせろ!』はクレージーから植木等と谷啓、月内で解散するザ・タイガースから岸部シローがレギュラー出演のバラエティ。コーナー跨ぎには園山俊二の絵や田辺一鶴の一節が挟まれた。全11回、最終回にはクレージー全員が揃って出演。@retoro_mode
昭和な時代、偉人や人気者は決まって漫画化されました。そう、あのタモさんも。連載された「TVガイド」誌より。@retoro_mode