住宅地図で調査。昭和37年版ではまだ藤倉電線の運動場、昭和40年版では倉庫が建ち始めている。戦中~終戦直後の一時期は荒廃するも、その後再びグラウンドとしての役割を与えられていたのだ。ちょうどその頃、スポーツライターの越智正典氏がこの地を訪れ、“洲崎球場跡”と書かれた杭を目撃している。
GHQに接収された神宮球場改め「ステイトサイド・パーク」の生写真。しかし当初は「ルーズベルト・スタジアム」との報道多し🧐
【昭和の広告】自動貯金箱 昭和31年
通話料金を徴収できる特殊簡易公衆電話(ピンク電話)が登場するのは昭和34年。それ以前の機械式は一般の黒電話に“自動貯金箱”を取り付けて利用された。しかし通話先は判別できないため、市内通話料金の10円で高額な市外通話する悪用が多発した。@retoro_mode
一時期、エディ岩田はハナ肇とコミックジャズ路線で人気を二分するほどだったようだが、ほどなくモダンジャズに転向。
「宮の湯」ですかね。窓の中が覗けちゃったのでしょうか、、、🤔 https://t.co/KVaYP26s40
【昭和のテニス】海外プロ初来日~日米国際庭球大会 昭和11年
読売新聞社が4大大会優勝10回のチルデン、同3回のバインズ、女子選手のシャープを招聘。目の当たりにした“メジャー”プレーヤーに観客は酔いしれた。この試合でシャープと対戦した岡田早苗はプロ選手第1号とされる。@retoro_mode #蒐集品
三河島駅ほど近くの #珈琲茶館エンゼル 。下町の昼下がり、流れる時間は悠久に感じる。焙煎の香りと秒刻の音が身を包み、心地よさにいつしか微睡む。#純喫茶コレクション
昭和10年11月9日、この日の東京巨人軍は“ジミー”堀尾文人を復帰させ、看板投手の青柴と沢村を立てるも打ち込まれ東京鉄道局に大敗。三宅大輔監督の更迭が決定的となる。@retoro_mode https://t.co/qY8TIrDQED
初代・内海突破が経営した喫茶店「鳩ポッポ」、広告を調べると多店舗展開していた模様。画像は昭和36~41年。@retoro_mode https://t.co/GhNrsc9Tg9