この辺は、分霊(に相当すること)は日本の神に限らず可能で、日本の神でないときは分霊と呼ばれていない(日本である必要も神である必要もない)、という話だと思いますね。それらの話は茨歌仙第四十四話の『寿命を超越するもう一つの手段』でモロに説明されているので……。
新地獄に移送されなかった怨霊は、いつか地上に出たい(形をなしたい)と願っている存在で、鬼もそれを踏まえて手元において扱っている(娯楽を与えている)という感じかなあと。(鬼は隠れたものと顕れたものを扱う存在なので)
そういえば、東方を意識してMADARAを読む場合、原作者が同じ『北神伝綺』『木島日記』『八雲百怪』あたりも読むと面白いです。(同原作者の『三つ目の夢二』は神主の本棚に刺さっていたのがTV放映されていたはず)
長谷川先生があらかじめわかりやすく説明済みで話がスムーズなの、作品世界の広がりの強さなんですよね
萃香さんが幻想郷中の瓢箪から「揮発」した中身を萃めているという話とほぼ同じ構造でありつつ、何が違うか、という話なんですよね
儚月抄のこれと同じ機序ですね……。(いずれの作品も根底のロジックが同様なのでそうなる)
あの世界でのゼクノヴァによるあれ、要するに「空想具現化装置 プラグマタイザー」なわけで、(ある意味当然とはいえ)みんな、サイバーコミックスと混淆世界ボルドーが好きすぎるという感じですね……。
錦上京、ユイマンのヘビは(データ処理でPythonという話はそうとして)士郎正宗の『仙術超攻殻ORION』のヘビ・語連虫(ゴレム)ですね……。(この辺の話は虹龍洞でも参照されてるので、まあ同じ流れのはず)
錦上京、6面の「弾幕の化石」って、明石散人の鳥玄坊シリーズの「兵馬俑から発掘された石板のピット」がモチーフと思われるので、あの石の一つ一つに可能性空間上の世界、作品の世界が一つづつ封じ込められているはずなんですよね。