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「動物園」(少年世界 明治35年(1902年)4月増刊号 第8巻6號 博文館刊 A5判142頁)
・口絵写真一束
「水産大画報」(田子勝彌監修 少女倶楽部 昭和×年9月号附録 B5判16頁)
北海の漁場
鰹釣り
烏賊の忍術 比目魚の目
ところで10月9日の東海遊里史研究会の際、図書庫C室で閲覧する本が
新たに収容したり倉庫から出してきたりで少し増えた顔ぶれの本たちが此れ
様々な立場で視点で書かれた資料性の高い遊廓、赤線、賣買春、性文化本たち
「空気男爵」(さいとう・たかを 1956)は描画が手塚調と言われるがアクションのリアルさやキャラクターの顔などを見てもコマ割りでのストーリー展開以外はオリジナリティ溢れる後の劇画に通じる作品に思われる
「白狼記」(池内誠一 別冊少年サンデー昭和44年(1969年)1月号 B5判)
第一章 戊辰戦争のラストでアイヌの兄妹が登場し次章が期待される
この号のみなのか確認できないが
64頁の連載はかなりボリュームがある
「中部日本大觀」(昭和6年~ 17年 名古屋新聞刊 B4判174頁~)
中部日本の産業、観光、政治、民俗を年次で紹介するグラビア誌で初号は厚表紙で以降は軽装本なれど掲載写真は見ごたえがある
「科學知識」(大正14年1月号 (財)科學知識普及會 B5判)
「飛行船ZR第三號の大西洋横断」
ZRはご存知、ツェッペリン號
「温泉の物語」(医学博士 藤浪剛一)
「週刊 少年キング」(1968年51号)
「日本にきた!アマゾンの人魚」
前号のトピックスで掲載されていたマナティーのアマゾンでの捕獲と読売ランドへの移送・公開の記事稿。
アマゾン学術調査隊 隊長 近藤典生 (東京農大教授)
此れにも関わってたんだ!
「まりっぺ先生」(赤塚不二夫 りぼん1959(昭和34)年7月号付録B5判38頁)
・冒頭
この作品執筆当時の赤塚不二夫先生の住所は
東京都豊島区椎名町二五の二、二五三常盤荘内 だった