(備忘)
上野山大仏殿絵葉書 (聚楽園大仏)
(1)
聚楽園大仏が造立されて間もない
1927-28年(昭和2-3)頃と推定される記念品(お土産)用の「ゑはがき」と
(2)
造立者の山田才吉の銅像が建立され、愛知電鉄と名岐鉄道が合併する以前の
1933-34年(昭和8-9)頃と推定されるお土産用の「繪葉書」を検証
第1回
別冊少年サンデー 1968年(昭和43)7月号
以前も書いたが
キャッチどおりの、まるで赤目プロ作品のような"劇画"だった
レッサーパンダについての
日本で刊行された文献で
古ぅ〜いのは何だろう?と、ちょっと気になっていて
書庫調べていたら
「具氏博物學」巻の五(1876年(明治9)9月 文部省刊)の
猫熊(バンダア)… https://t.co/J1Yz8YouI3
松下井知夫自身が枯れたタッチで読み切り作品をものするようになったのは1965年以降で、
「猛妻ここに爆破す」(週刊漫画Times1965年4月)
「トンビ野郎とタカ娘」(別冊アサヒ芸能1968年12月)あたりが類例かも
「GP(グランプリ)魂 」(宮谷一彦 週刊少年サンデー1969年(昭和44)11月9日号 小学館)
レースアクシデントで四輪に転向した高橋国光を描いていた
こちらのツイートにはセンシティブな表現が含まれている可能性があります。
こちらのツイートにはセンシティブな表現が含まれている可能性があります。
若い人が調べると軽やかに深掘りしてくれそうな事を若い人の琴線に触れんかもの山松ゆうきち作品を年寄りが調べてみると
ヤングコミックでは
ヤングコミック1971.08.25号から連作「純情ますらお劇画」第一話として
「整形」が掲載
こちらのツイートにはセンシティブな表現が含まれている可能性があります。
「ロッティ=エバンスもうじき八つ」(里見潤 別冊少女フレンド 1971年10月号 B5判23頁)
当時の萩尾望都の短篇作品の画力、ストーリー構成のクオリティの高さは他の描き手や他誌編集に影響を与え、技巧的に絵柄は、ある程度真似できたとしても「ある程度」でしかなく、絶妙な調和と構成バランスは無理
「山村暮鳥生誕百年記念写真集 雲と愛の詩人」(昭和59年1月 群馬町文化協議会刊 B5判109頁)
当文庫には金子光晴、山之口獏、吉田一穂、高橋新吉の刊本は概ね揃えているが山村暮鳥は「日本現代詩大系 第六巻 近代詩(3)」(昭和26年 河出書房)で読んだきりだった