「リソースがあれば、やりたい事をやれたし、やりたくない事をやらずに済んだ」というのは人生を振り返ってからの言葉で、
リソースの使い道を決める/使い方を学ばない裡は、あるだけ浪費し、何も残さず、どころかリソース自体に振り回されて破滅しかねないのが人間、という視点がある漫画だからな…。
自分の不運に意味はなく、自分の幸運に意味はなく、人間は不合理で、現象は不完全であり続け、事象は理不尽で、世界は不気味であるという世界観で生きるよりは、公正世界仮説で自罰/自己肯定できる『根拠』を必死で探し求める方が人間知性にとっては受け取り易いというかむしろそれこそ存在意義であっ
狂気のベールゼブブ(というか狂気に囚われた人格全般)を「本来の人格の狂した存在」と捉えるか「まったく瓦礫に変わった後でデタラメに再構成した」ものと捉えるかでもニュアンスが違ってくるから、この一説とっても幅は広いのよね。
#不安定構築が正気でデタラメ構築が狂気とか
レックスの友達が「影響を与えたもの」くらいのゆるゆる判定なの、逆説的にレックスには「友達がいない」の、「俺は他の誰の影響も受けない自分自身の自由意志で動いている」という信念の表明なんだな。
#今週の胎界主
視力9.0設定が追加された理由、つまり「自分の目による尾の認識」、映像越しはダメとして、窓越し鏡越しはOKだし、ここも(解釈の余地はあるけど)自然に読めばスコープ越しに尾を見ていると取れるはずだけど…。
「(目という)レンズ」周り辺りで重要設定があるのだろうかな?