今週の「攻めてるね着ないの?」のやり取りについてですが、やっぱり五月さんあの時の下着を買っていたのかも.....と想像が膨らんでしまう一幕でした。お子様パンツの四葉ちゃんとも対比になっていて、やはり非常に興味深いですね...。 #五等分の花嫁
文乃さんスキーの残留思念「(たとえマルチエンドだろうとなんだろうと、こういう未来にたどり着くことができるのだ……やれ整合性がどうだとか細かいことを気にかけている場合じゃない……デート、同棲、結婚……神、神、神……etc)」。 #ぼく勉
第46話における「二乃と三玖(=紅茶と緑茶の例)」の関係がまさにその象徴であったように、彼女達の趣味嗜好には自然と"違い"が生まれていくのですよね。だからこそ、"自分らしく"あることが「違う経験をしてお互いの足りない部分を補い合って一人前になること」に繋がるんだと思います。 #五等分の花嫁
三玖の成長に胸が熱くなった一方で、今回は三玖の強い意志を目の当たりにした風太郎が「勝手に自分で線 引いちまってた」と語っていた所も良かったですよね。選ぶことに迷いを抱えていた風太郎が、彼女達の真剣な気持ちに触れながら自分の答えにたどり着こうとしている様にも思えます。#五等分の花嫁
五月の恋愛観(というより男性観)が零奈さんの言葉に影響を受けてきたであろうことは想像に難くなかったので、"母からの脱却"と"恋心の発露"がリンクしていたら面白いなと個人的には思ってもいたのですが、五月さん想像以上に防御力が高かった。そんな五月と風太郎の関係が大好きです。#五等分の花嫁
風太郎との関係の中でそれぞれが自分の姿を見つけ、バラバラだった姉妹たちが本当の意味でまとまっていく。"個の自立"と"家族の絆"を根底に置き、恋愛というままならない感情をどう描くのか。この観点において『五等分の花嫁』はラブコメとしても漫画作品としても非常に上手い構成だったと思います。
「誰かの姿を借りて自身の想いを伝える」という行為の”是非”に関しては、既に家族旅行編で三玖が一つの解を出しているんですよね。それは間違いであると。だからこそ、理屈ではどうしようもない”感情”を彼女達がどう受け止め、どう昇華させていくのかに物語の核があるような気はします。 #五等分の花嫁
仮に一花さんが5年前に風太郎と何らかの接点を持っていて、かつ写真の子ではないという状況にあるなら、やはり78話の行動にも意味深さが増しますよね。83話で風太郎に対してそうしたように、会話の中から写真の子がどんな情報や認識を持っているのか探ろうとしていたようにも見えます。 #五等分の花嫁