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「油断はしなかったが、浜松で泊まった時には、二人が道々よく世話をしてくれたから、少し気が緩んで裸で寝た。するとその晩、着物も大小の刀も、腹にくくりつけておいた金もみんな取られた。
朝、目が覚めて枕元を見たら、何にもないから肝が潰れた。」
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「『お兄様がここしばらく、お前の世間での様子を残らず聞き取ってなさりました。そして放ってはおけぬと心配して、今度庭に檻をこしらえてお前を入れると言いなさる。いろいろと皆が止めたけれど、少しも聞き入れずに、昨日出来上がったところなのよ。〈中略〉庭へ出てみなされ』」
当初ダイジェストで終わらす気だったので端折った、二人が馴れ初めのシーンです。
背景が、描いた人の記憶の中にある大学構内なので、配置とかムチャクチャです。
(3/4)
「監物は袴を穿いて現れ、おれに挨拶した。お互い初めての名乗りをして、いろいろ信心の話をしてから、中村多仲がおれの所に来ると言って、そのうえで、
『お前さんが多仲の仲間ということは早くから聞いていたが、おれが忙しくて訪ねられなかった』
と、もっともらしく言った。」
(4/4)
「姉がいろいろ心配をして、あちこちの寺に祈祷なぞ頼んだと聞いたから、翌年春、姉を安心させるため、隠居した。三十七の年だ。」
(3/4)
「夜五つ(20時)頃には呼びに来るかと思って待っていたが、少しもその気配が無いから、その晩は吉原へ行って翌日帰った。
それから、
『ただで済ますわけにいかないから、兄様に一筆書いて出せ』
と言われたが、それもしなかった。」
(3/4)
「その後間もなく、六百両金ができたから、山口の家は持ち堪えたが、今は三十俵三人扶持ぽっちだから、困っている。江戸の掛屋にも千五百両ばかり借りがあるから、三人扶持は掛屋行きだ。
そんな具合だから、今でも山口の子が月々、おれを訪ねてくれる。」
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「それから、村方のこれまであれこれと敵対した者へそれぞれ咎を言いつけ、水呑百姓の身分に落として、江雪斎の頃からの古百姓には役儀を言いつけ、今回金を出した者には皆、名字を名乗ることを許した。代官には、一年に九斗ばかり収穫が見込める荒地と屋敷を遣わした。」
#はやおき訳