(2/4)
「おれの弟は七つばかりだったが強かった。一番に追いかけたが、前町の仕立て屋の息子で弁次というやつが、引き返して来て弟の胸を竹槍で突きおった。その時おれが駆けつけて、弁次の眉間を切った。弁次の野郎が尻もちをつき、ドブの中へ落ちたから、続けざまに顔を切ってやった。」
(2/4)
「親父が家中の者を集めて、百物語をしろと言い出した。屋敷の隣にある原に化け物人形をこしらえておいて、夜、皆が一人ずつ行って、その化け物の袖に名札を結びつけて帰ってくるという趣向だ。皆怖がっていておかしかった。」
#はやおき訳
(2/4)
「ようやく思い直して、一日、あちこちでもらって歩いた。米や麦五升ばかりに、銭を百二、三十文をもらって宿へ帰った。」
#はやおき訳
(3/4)
「もはやこれまでと思ったから、腹を切ろうと思い、肌を脱いで石の上に座ったら、その脇に居た白子屋という米屋が止めて、家に送ってくれた。」
(3/4)
「養家の婆あ殿は、おれを毎日いじめなさったが、いまいましいから、おれも思いつく限りの悪態をついてやった。
それを親父が聞きつけて怒って、
『年端もゆかぬくせに、婆様に向かって己のような無礼を言うやつはいない。将来どうなることか』
と、脇差を抜いておれに打ちつけた。」
(2/4)
「その稽古場に、おれの頭(かしら)の石川右近将監の息子も来ていた。そやつはおれの禄高やらをよく知っているから、大勢の前で、
『手前の高はいくらだ。四十俵では小給者だ』
と言って笑いおるのが常だった。」
#はやおき訳
(3/4)
「『大学』は、五、六枚くらい覚えたっけ。結局、両先生から世話を断られたが、嬉しかった。
馬にばかり乗っていたら、ついに銭が無くなった。そこで、お袋の小遣いや貯えの金を盗んで使った。」
(4/4)
「どうしたらよかろうと途方に暮れていたら、宿屋の亭主が柄杓を一本くれた。亭主は、
『これまでも江戸っ子が、この海道でそんな目に遭うのは、よくあることさ。お前さんもこの柄杓を持って、浜松のご城下や外れへ行って、一文ずつもらってくるがいい』
と、教えてくれた。」