人間の死体由来の純化された魂と、妖精の生命力の結晶化物体、両方とも「石桜」になるからね
幽々子様は気質操作能力で春の季節の力を持つ妖精を操り、本体や生命力を結晶化、それを集めさせたから春が来なかった
そして文花帖で花弁を撒いていたのはその石桜を妖精に返していた、という
逆に霊夢、鈴奈庵で魔理沙が妖怪にやられて倒れてたら仇取るとかいって素っ気ない感じにも見えるんだけど、智霊奇伝で怨霊に乗っ取られたかもって時は相当焦って動揺してるので、鈴奈庵の時のは「死んでないと解っててからかった」感がある
智霊奇伝のはそも利用されてたら安否すら判らんからな
野分での小鈴失踪事件でも魔理沙、霊夢の立場悪くしない為にやたら頭働かして上手く立ち回り、小鈴に天狗の事を教えようとする霊夢をすぐ諌め説得してるんだけど
友達ってより保護者的な立ち回りに感じるんだよなあそこも
あとその説を前提にすると
「霊夢が気づいて関わると微妙に霊夢の立場が悪くなる事件を裏で解決して詳細を語らないでいた」
という沓頬事件の魔理沙の行動も理解しやすい気が
霊夢が関わってしまうと「小鈴が里で新しい妖怪を生み出してしまった」事が露見して霊夢と小鈴の関係悪くなりかねんからな
「博麗の巫女は消えたら新しいのが探されるのが常態化してて、でも血統でもあるらしい→巫女は同一人物の転生体で、今の霊夢が『こう』なのは今代霊夢の第一発見者が魔理沙だからで『私が親だ。』はマジ話」説
を前提にすると「魔理沙が他人と仲良くしてると少しムキになる酔い霊夢」の見え方が変わる
神子様に関しては、死が怖いとかではなく茨歌仙でのこの言い回しや設定テキストの書き方的に
「最も人々を救う能力のある私が人間の死なんかで失われるのは勿体ない」
みたいな考えっぽい感じがあるんだよな
人々の救済こそが第一で、それに対して最高効率なのが自己の保存だっただけで