というかこの辺の「納得」に関する観点、鈴奈庵阿求のこの辺の言葉が当てはまるんだろうなぁ感はある
「本当の答え」はどうあれ、世界は無限で構成されていて真実も無限に存在する
受け手側はその無限の真実の中から最も「耳障りの良い」真実を選びとって「答え」という事にしているに過ぎない的な
出店者⑬
紅魔館
節分限定
『鬼門巻き屋』を開く
豆まきでお嬢様不機嫌だったので宥める為の出店
鬼門の方を向いてなんとなく太巻きを食う(意味はない)
豆料理必須なので珈琲セットを食後に出す
良く考えたら天子、普通にすげぇ頭良いのに本当に何の考えもなくこんな愚行するとも思いにくいし、プライド高いのに何の考えも無しにほぼ間違いなく嘲笑われる内容の告白なんてしないよな
「食うだけで仙人になる」ものだとは認識してたようだし
「幻と実体の境界」の『幻』側として設定されている世界な上に想いによって成り立つ幻想的存在が多数住む幻想郷
そんなの、想いの力を自在に操れる神なら「簡単に造り直せる」わな
ヤベェ神なのは間違いない
「ただ真似をしただけ」という可能性も無くはないが、鍛治スキルが真似の発展形にしては妙に高い(短時間で、くたびれてた針が霊夢らが驚くレベルで補修されてた)のと、天候操作(風雨を実際に起こす)は真似じゃ難しそうじゃないかなと
虹を作れるのも一目連(≒一種の龍神)要素があるからかね
鈴奈庵に出てきた沓頬って百器徒然袋に描かれた妖怪(付喪神)な訳だけど
九十九姉妹、もしかして別に「何の変哲もない琵琶/琴が小槌の魔力を得て付喪神化したもの」という訳ではなく「百器徒然袋の琵琶牧々と琴古主が小槌の魔力を受けて付喪神化し本物の琵琶と琴に宿った」存在だったりする?
紫様のセリフ的に、幻想郷の賢者って別に強い組織的繋がりがあるとかそういう訳では無いのかね
ただそれぞれ一定の役割を担って、必要なとこでは意見のすり合わせとか知恵の出し合いとかをして、でも基本は独立独歩って感じかね
というか、その辺をキッカケに「天人らしく頼られる」喜びを知ってそれが嬉しくて仕方ないとこもあるかも
緋想天の頃の天子からしたら、こんな反応あり得ないもんね……
あや先生は神主から来る漫画の文章プロットについて「セリフやら場面やら文章でむっちゃ細かく来るのでそれを漫画で伝えられるようにしてる、書き文字は効果音以外全部原文まま」みたいに言ってた
華扇の表情指定「慈悲のあるドヤ顔」には困惑したらしい