「ドラえもん」の作中に“にんにくマン”が出てくるのは、この「ドラ・キン決戦」と同じ頃ですね。
(にんにくマンが出てくる話は、「なおしバンとこわしバン」小学一年生1985年2月号)
Ⓐ先生が生涯大切に保管されていた、手塚先生から送られた生原稿の数々に感涙。
『まんが道』のこのシーンを思い出して、ますます胸が熱くなり、涙がにじんできました。 https://t.co/JRiD7FJihg
巨大娘萌えといえば、以前友人と「『のび太の宇宙小戦争』のしずちゃん巨大化シーンは、巨大娘萌え・サイズフェチ的な嗜好をそそりそう」と話したのを思い出します。そのしずちゃん巨大化シーンの原型的な描写が初期F作品に見られます。『とびだせミクロ』のまりこちゃんのこのコマ(画像2枚目)です。
こちらも、『のび太の宇宙小戦争』のしずちゃんと『とびだせミクロ「人類ミクロ化計画」』のまりこちゃんの比較です。
先にアップしたコマも含め、どれもかわいい女の子の巨大な姿を大ゴマで強調して描いています。女の子の巨大感を魅惑的に表現することに熱が注がれている、と感じられます。
F先生の初期作品の一つ『すすめロボケット』からも似た趣向のコマを抜き出しました。ここでも、かわいい女の子の巨大感を描くことに熱が注がれています。前掲の『宇宙小戦争』や『とびだせミクロ』の事例と違うのは、こちらは、相対的に巨大に見えるのではなく、本当に巨大な女の子だということです。
のび太「そのにぼしみたいのが?」
ドラえもん「水をかけるとふくらむんだ」
2人のそのやりとりが、思わず本当に煮干しに水をかけたくなるくらいツボです。幽霊が煮干しに喩えられてしまうというミスマッチな事態と、水をかけたら簡単に膨らむというお手軽な即席感に心をくすぐられます。
のび太が「ゆうれい城へ引っこし」で画像のようなことを言ってます。
ここでのび太が言及した“城とか家とかに他人を寄せつけないよう(長居させないよう)ニセ物の幽霊で脅かすお話”の一つの大きな源流が、鶴屋南北の「四谷鬼横町の場」だと言えそうです。
手塚治虫先生(をモデルとする大寒鉄郎)も、藤子不二雄Ⓐ先生も、終戦を知ったとき“これからは自由に漫画を描ける”ことに喜びを感じています。
13日の読売新聞に手塚先生と藤子Ⓐ先生の師弟愛に触れられる記事が載りましたが、こういうところでも「やっぱり師弟だなあ」としみじみ感じさせてくれます。