浦沢直樹先生が2012年名古屋の講演会で「ジャングル大帝でレオの息子ルネがすぐに噛みきれないものを懸命に噛む場面があって、そのルネの表情を見て初めて“表情”というものを強く意識した。今振り返るとそれが僕の描く表情のルーツになっている」と語られました。
その場面ってたぶんこの辺りかな。 
   浦沢直樹先生の手塚語りで興味深かった発言
手塚先生の中には生々しい情念的な“根性”というものはなくスポ根を描けなかったが『火の鳥』黎明編の崖をよじのぼる男とか、鳳凰編の両腕をなくしたのに彫刻刀を口にくわえて彫る男などは、手塚先生の根性ものに対する一つのアンサーだったのではないか。 
   藤子不二雄Ⓐ先生の『戯れ男』に「桜井陽子」という、戯れ男の高校時代の同級生が登場します。彼女のモデルは、『まんが道』に登場する桜井涼子(のちに霧野涼子に変更)と同一人物。そのモデル人物Kさんとテレビ番組でお会いしたことがあります。高岡大仏前でツーショットを撮っていただき大感激。 
   『まんが道』で描かれた満賀道雄と霧野涼子のファーストコンタクトは、2人が相合傘で学校に遅刻していくシーン。実際に涼子さん(のモデル人物)は遅刻の常習犯だった、とご本人からうかがいました。自宅から学校が近かったのによく遅刻したとか。
(『まんが道』の相合傘シーンはフィクションです) 
   >RT
手塚治虫先生の初期作品『魔法屋敷』(1948年)が藤子・F・不二雄作品に与えた具体的な影響は他にも見られます。
『のび太の魔界大冒険』(1983〜84年)で語られる“魔法文明が科学文明に取って代わられる”という歴史観…。その発想の源流に『魔法屋敷』を読んだ体験があると思われます。 
   藤子F先生が手塚先生の『魔法屋敷』を読んで印象に残ったシーンの一つが“三騎竜にまたがった大魔王”です。
そのシーンへのオマージュが『のび太の魔界大冒険』で見られます。角のある恐竜みたいな魔物にまたがった大魔王のシーンです。 
   『ジャングル大帝』の、敵対するA国とB国が合同でクリスマスパーティーをするシーン。12/24当日に読むとますます沁みるなあ。 
   クリスマスに失恋したブラック・ジャックの背中に浮かぶ哀愁……
(『ブラック・ジャック』「ブラック・クイーン」より) 
   トキワ荘マンガミュージアムの電話ボックスは、実際のトキワ荘のすぐ近くにあった落合電話局前の電話ボックスを再現したもの。『まんが道』に登場したことでその存在が俄然意識されるようになりました。特に、才野が原稿大量落としの謝罪電話を編集者に入れるシーン(「とるべき道」)が印象深いです。