特に1920年(大正9年)は創業20年という節目の年ということもあってか(津村順天堂の創業は1893年ですが、社史では1920年が創業20年とされています)、新聞広告には「中将姫」のイメージが頻繁に登場してます。会社の原点はやはり「中将姫=中将湯」というアピールなのでしょう。 ↓
一つの見方をすれば、自然は美しくかつ残虐であるように、少年もまた美しく残酷な生き物と言えます。
『ライチ☆光クラブ』では風景としての自然は描かれてはいませんが、少年と自然はその存在性において重なり合い、美しさも残虐さも全てを網羅する、↓
絶望の中にある少年の束の間の癒しは自然の中でしか得られないのです。
一方で、『ライチ☆光クラブ』でクライマックスの儀式中、ゼラが息絶える最期の瞬間では黒い薔薇が効果的に使われています。
この黒い薔薇が表象するものについて、じっくりと考えてみたいのです。↓
つまり『ライチ☆光クラブ』で徹底的に自然を排除した古屋ですが、少年の心象を自然(花)を通して表現することで、少年と自然の深いつながりを示唆しているようにも感じられます。
『インノサン少年十字軍』で救いを求めるエティエンヌの恋心を蝶や花が代弁します。↓
「『インノサン』の花は、暴力に侵食される少年たちの仲良しの世界、人と人との無垢なつながり、無垢を求めた少年たちの死への鎮魂などを重層的に表象する。古屋兎丸は花によって漫画という視覚表現の可能性を押し広げている」(「少年の世界への別れと鎮魂『インノサン少年十字軍』、ユリイカ)↓
古屋兎丸版「スタンド・バイ・ミー」とも言える『少年たちのいるところ』では、夏休みの思い出作りに少年たちは工場の夜景を見に自転車を漕いで行きます。
少年と自然の関係は常に一定ではなく、時代によって変化していくものですが、華宵の「自然の中の少年」から古屋の「自然不在の中の少年」への↓