本日9月14日(土)は開館日です。
今週末と来週末は3連休が続きますね。
大正ロマン館も祝日は開館します。
「大正女の一日展 ーこれが彼女の生きる道!?ー」は好評開催中です。… https://t.co/nop0uwuqTR
本日11月3日(日)は開館日です。
昨日は松山市で大雨の被害が酷かったようですが、今朝は一転、爽やかな秋空が広がっています。
さて先週予告をいたしましたラジオ番組
(「 #坂の上のラジオ」 #南海放送ラジオ)は、
昨日の昼12時から放送されました。
大正ロマン館の館長が、現在開催中の「… https://t.co/JRQzVB4j56
一つの見方をすれば、自然は美しくかつ残虐であるように、少年もまた美しく残酷な生き物と言えます。
『ライチ☆光クラブ』では風景としての自然は描かれてはいませんが、少年と自然はその存在性において重なり合い、美しさも残虐さも全てを網羅する、↓
「自然と少年」というテーマで二人の画家の少年たちについて見てみたいと思いました。以下、展示の最後のコーナー「少年と自然ー古屋兎丸と高畠華宵の場合ー」の説明文です。
少し長いのですが、ぜひご一読いただければ嬉しいです。
そして展示室の少年たちに想いを馳せて頂ければ幸いです。↓
機械的なもの・科学的なもの(飛行機や船など)への関心は戦前の挿絵の中にも見られます。
戦後の小松崎茂などに代表されるような「空想科学」への傾倒は、少年の「非自然的なもの」への関心がある意味で普遍的なものであることを証明しています。↓
ライチを燃料とするロボットを作ります。
破壊的なリーダー・ゼラを中心に狂信的な集団となっていく少年たちの周りに自然はありません。自然から隔絶された少年たちの行く末は悲劇へとつながって行きます。
もちろん少年は自然を求めるだけではなく、↓
古屋兎丸版「スタンド・バイ・ミー」とも言える『少年たちのいるところ』では、夏休みの思い出作りに少年たちは工場の夜景を見に自転車を漕いで行きます。
少年と自然の関係は常に一定ではなく、時代によって変化していくものですが、華宵の「自然の中の少年」から古屋の「自然不在の中の少年」への↓
絶望の中にある少年の束の間の癒しは自然の中でしか得られないのです。
一方で、『ライチ☆光クラブ』でクライマックスの儀式中、ゼラが息絶える最期の瞬間では黒い薔薇が効果的に使われています。
この黒い薔薇が表象するものについて、じっくりと考えてみたいのです。↓