鄧禹が先生と劉秀に呼ばれたのは史実通り(↑1枚目は鄧禹が劉秀に仕える際の実際の後漢書の言の抄訳)だし、皇帝の師"先生"太傅となる明帝の時代にも、彼に仕えるのでなく、先帝である"光武帝の臣"として、唯1人賓客という立場に置かれ丁重に扱われたのが、劉秀・鄧禹の関係を感じれるってネタです(早口
RT> 動画を見て、改めて"光武帝"の諡号、文帝や宣帝、章帝、桓帝らと並べると漢帝国の皇帝の諡号感があまりないなって…
劉秀の功臣等を粛清しなかったのも内需滋養もそうだけど彼の性格面も大きく寄与してるだろうな〜と思いました(小並感)
横山光輝三国志のトレス絵、今日描いた今回のむむむ対象が『賈復と寇恂』にしたのは、今まで劉秀(と鄧禹コンビ)か馬援にやたら偏ってたのと、まんまその時の気分で賈復を選んで、仮眠挟んでやっぱり賈復なら寇恂(犬猿の仲的な意味で)でしょっていう非常に適当な人選でしたゾ。 https://t.co/idQro5j1tQ
光武帝4コマ漫画「烏桓突騎」(再掲)
呉漢と耿弇は最初は同格の2トップ将軍+岑彭のコミュ力の高さの異常さよ…
後漢の統一戦争でいわゆる赤壁の戦いがなかったのも岑彭の圧倒的交友関係に依るところが大きいかも