イギリスでの発売日。
3/27 Sentimental Journey 4/17 McCartney 5/8 Let it be
売り上げ(当時)はポールがレリビーの半分、リンゴがポールの4分の1ってとこでした。
H・デイビスの公式伝記本に、ポールの家でのジョンとポールによるこの曲の制作風景が描かれています。ちょっと飽きるとすぐ脱線するのですがすぐ元に戻り、真剣にシラブルの数を調節したりする意外と真面目なレノン=マッカートニーの姿が見られて面白いです。
「Aメロからサビに行くつなぎの部分」とか人によって「ブリッジ」の定義というのは様々ですが、そういえばビートルズはサビのことを何でもかんでも「ミドルエイト」と呼んでましたよね。
もしこの2曲が「ペパー」に収録されてたら、カットされるのはアレとアレかな……なんてしょんもないことをファンは考えるんですよね。そう、たぶんアレとアレですよw
正確には「37gのソフトドラッグと大量のコカインが靴箱、クローゼット、ハンドバッグから見つかった」というもの。まあでっち上げと思いますが、後日のジョージの発言「僕は几帳面だから隠すならわからないところにちゃんと隠す」を聞くとどっかには隠してたんだろうなとw
しかも驚くべきはG・マーチン以外音楽・興行業界に関してほとんど素人の軍団だったということです。それであれだけの壮絶な体験をしたんだから、そりゃ人生変わりますよね。
ブライアンはペパー完成のパーティを何度か開きましたが、そのうちの一つにP・ブラウンの紹介(ストーンズのB・ジョーンズの写真をもらったお礼)でリンダ・イーストマンも招待されていました。そこでポールと出会ったわけですね。
親たちの中で一番バンドに協力的だったのがハリスン夫人。デビュー前彼らが練習してると食事やお茶を用意してあげたりデビュー後はジョージ宛のファンレターに出来る限り返事を書いていました。そして米国に嫁いだお姉さんもデビュー当時ラジオに大量のリクエストを送って積極的に応援してたそうです。
この曲はジョージがベース、ポールがピアノという説がありますが、M・ウィルソン「レコーディングセッション」では、ボーカル&ベース(P)ピアノ(J)レズリーギター(G)ドラム(R)となっています。
実際にジョージがオーディション落ちたのはハリケーンズの前身だったバンドなんですが、YouTubeでハリケーンズの残っている音源を聴くと、あらら?こんなのにジョージ落ちちゃっ…以下自粛