P・ブラウンと一緒にいるのは、のちにビージーズのマネージャーとなるロバート・スティッグウッド。ブライアンのユダヤ系ゲイサークルの一員。当時ブライアンは彼を共同経営者にしようとしていました。
本当にこんな事言われたらしいwww この時ジミヘンは3日前にリリースされたばかりの「サージェントペパー」のテーマを演奏してポールを大喜びさせました。
ジョージの父ハロルドはリバプールのバスの運転手。デビュー当時ジョージは「お金を稼いで父にバスをプレゼントしたい」なてこと言ってました。
ご存知のようにこの曲のドラムはポール。ケンカして脱退中のリンゴはピーター・セラーズと地中海をクルージングしてました。コーラスにはジャッキー・ロマックスが参加してます。
この馬の値段は£1050。現在の貨幣価値でいうと¥1000万ってとこでしょうか。稼いだ配当金は£3000ほど。投資としても十分成功したわけですね。
まあツェッペリンの場合は、ボーナムのドラムソロが30分、ペイジのバイオリンボウプレイが30分、コンサートによってはジョン・ポールの「No Quarter」でキーボードソロ30分、…てのがあるので実質は2時間ないですけどねw
100w程度のアンプでスタジアムクラスの会場で演奏するなんて無謀以外の何物でもないですが、誰も何とも思わない時代だったんだなあ。
イエスタデイの夢の話やタイトルが「スクランブルエッグ」だったエピソードは有名ですが、レボリューション9の録音に参加してたビートルはジョンとジョージと、あとはヨーコだけだったという話……あ、これも有名ですねw
12日間だけビートルだったジミー・ニコル。メンバーに「どうだい?できそうかい?」と聞かれたときの口癖が「It's getting better」だった。
アップルの新スタジオの壁に16トラック用と言って穴を16個あけたのは有名な話。ジョンはマハリシと決別したあと自分の新しいグルを探していたのだと思うけど、それにしても人を見る目がないのは相変わらずで、このあともそんな事が続きます。
どちらも独力で現在の地位を築いたという共通点もあって、ポールはリー・イーストマンに意外と気に入られてました。リーとリンダの兄の弁護士ジョンは、後にビートルズ解散問題やアレン・クレイン裁判などで大活躍します。