こういったおバカ騒ぎで一番はしゃいでいたのがジョン。飛行中の4人についてはラリー・ケイン著「Ticket To Ride」が詳しいです。
今回はすべて実話。ジョンとジョージのセリフも。この機は何かと問題があったようですが、これ以降違う機種に変更したので66年の墜落には巻き込まれずにすみました。もしビートルズが乗ってたら歴史は変わってましたよね。
ホワイトアルバムではヨーコの声が何カ所かで聴けますが、Birthdayではパティの歌声も。Let It Beのルーフトップセッションではジョンが「Thanks Mo!」という前の「イエ~~ッ」って歓声がたぶんモーリンですね。
ジョージは自分のことを「エリックの義理の夫」と呼んでいた。79年のエリックとパティの結婚式にポール・リンゴやベックなどと一緒に参列しています。このツアーでジョージはボトルネックを本格的に始めました。
本当のところヨーコは、ショーンが産まれたあと年齢や仕事の疲れでジョンの要求に応じられないので浮気は公認していたらしいです。有名なメイ・パン以外にも何人もお相手がいたみたいですね。
本当にヒマラヤにチャーター機で行く計画もあったらしいです。行ってたら今ごろはすごい観光名所になっていたかも(笑)
あまりにも有名なこの曲のオープニングのフェイドインは、リミックスの段階で思いついたみたいですね。オリジナルはJ&Pのコーラスで入ってくるものなどいろいろ試行錯誤してたみたいです。
子供の頃から、そしてビートルズをやめたあともジョージのスポーツカー好き・レース好きは変わりませんでした。様々なモーター・レースを後援するだけでなく、自分でハンドルを握ってレースに参加したことも何度かあります。
すいません。じつはこの翌年の67年にジョンはロールスをおサイケに塗り替えるので、本当はこの時のロールスはまだ黒のままです。でも「死の車」とか「走る棺桶」って言われたり、バイクが川に落ちたのは事実らしいですよ。
ビートルズに関係したエンジニアたちの多くがのちに成功したり有名になったりしましたが、ミュージシャンになっちゃったケースがアラン・パーソンズとこのノーマン・スミス。「ハリケーン・スミス」名義で確か全米3位のヒット曲も出してます。