ジョンの家庭環境はメンバーの中で唯一中流と呼べるものでしたが、それゆえのプライドがミミにはあって、ジョンが「下層階級」の子供の影響で言葉遣いや服装が乱れるのをすごく嫌がっていました。ジョンがそっちへ行った原因の一つは、そういった義母への反発からでしょうね。
お盆ということで… ジョンのセリフは最初のハンブルグから強制出国させられた時、ジョージのはそのハンブルグで海に遊びに行った時のものらしいです。
10代の頃よくこれを二人でやったとポールが語っています。実際はこうやって笑いのネタにすることで悲しみを吹き飛ばしてたんだと思いますね。
G・マーチンによるとポールの要求は具体的でわかりやすいが、ジョンの場合は思いっきり漠然としていて(『山のてっぺんで多数の僧侶が読経してるような』とか「サーカスの床のオガクズの匂いがするような』とか)たいへんだったそうです。わかるような気がするw
この海辺のエピソードも実話なんですが、この時のことを思い出すたび悲しくなるとポールはのちに語っています。
大の自信家のくせに時々自信喪失に陥ってしまうポールですが、そういう時一番親身になって真剣に励ましてくれたのがジョンでした。ポールやジェフ・エメリックの回想録でもそういうシーンが何度も出てきます。ムチャクチャなようでちゃんとバンドの長兄役やってたんだなあジョン。
ジョンやリンゴの歌詞忘れ・歌詞間違いはいろいろありますが、バングラディシュ難民救済コンサートでのリンゴの「明日への願い」歌詞忘れモニャモニャ歌いは、映像でもレコードでもしっかり残っていて有名ですよね。