夫を軽蔑しまくっていたしのぶだが、中の人が変わった夫に初めて恋をしていく。この感情表現が、極めて自然で分かりやすく、どんどんしのぶが可愛らしく見えていくところが凄い。
吉良は料理の才能があるようで、今まで家事などやろうともしなかった夫が自分の分まで含めて美味しい料理を作ったことに、しのぶはビックリ。
そこへ乱入するのが、家賃を取り立てに来た大家。演じるのは優しい劇団の鴨川汚染。ただし元々出演を予定していたわけではなく、名古屋から東京へ大学受験で来て(!!)帰りに立ち寄ったところ開演前にキャスティングされたとのこと。台本ではなく原作漫画を手に演じる。ザッツ・平原演劇祭!
吉良は、スタンドを使って大家のカバンから金を取り、その金を渡す。スタンドは見えないが、そのことを理解したしのぶはますます夫(中身は吉良)に惹かれていく。
そんなスティルライフを脅かす出来事が起きる。家に侵入して来たニャンコ(世にも美しいブリティッシュブルー(*´д`*)のタマ)を過失で死なせてしまったのだ。ニャンコを演じるのは、平原の2.5次元担当「人外ならまかせろ」の西岡サヤ。
しかしそんな猫草には思わぬ弱点が…何せ前世はニャンコだから、ボールを見るとついじゃれついてしまうのである。戦う気を無くした猫草を見た吉良は、手強すぎる相手と戦うことを諦め、とりあえずはこれで良し…とするのであった。
ふうっ…まさしく煉獄杏寿郎の気分だ。母上、俺はちゃんとやれただろうか。やるべきこと、果たすべきことを全うできましたか?
1つ細かいことで言うと、鬼滅の刃と言い呪術廻戦と言い、「上弦の○」とか「準一級」とか、敵も味方もやたらと細かくランク付けをしたがるのは、あれってやはりゲーム世代の感覚なのかね? 80年代までのバトル漫画に、そんな細かいランクは無かっただろう。死天王とか南斗六聖拳とかもっと大雑把。
ただその裏返しとして、「絵で表現する力」は昔よりもだいふ後退しているのではないか。とにかくストーリーも設定も複雑だから、どうしても文字での説明が多くなる。大抵の場合、その説明の間、絵の方は死んでいて、学研とかの「漫画で読む〇〇(ex.日本史)」みたいなものと化している。
そんなわけで、最近の漫画は「文字(台詞)による膨大な説明が当たり前になり、その分絵によって物語を伝える力は、昔よりも衰えている」ということは確かなようだ。ただ、話はそれでは終わらない。