ちなみに華族のご令嬢を演じている桜井ユキは、『ゴールデンカムイ』の続編では、変態殺人鬼の家長カノを演じている。
(あの漫画に出てくるキャラの8割は変態だが…)
最近自分が『TAR ター』評論家になってしまったような気分。それだけ精神的な侵食力が大きい映画だから仕方ないのだが。
たとえば遊園地のシーンなどは一番分かりやすい。このシーンを映画と見比べてみれば、同じシーンでも、漫画と映画で肌触りがまったく違うものになっているのが分かるはずだ。映画はあるゆるものが映り込んでしまうし、撮影の現実的な条件もあって、この漫画のような表現にはなかなかならないのだ。
原作も台詞はかなり多く、喋るシーンは非常に饒舌だ。しかし全てのシーンにおいて、映画のように余計なものが映らない。背景がかなり描き込まれていても、それはあくまでも背景。常に描くべきものにスポットが当たっていて、余計なノイズがなく、静謐な空気が終始漂っている。
いや、言ってること自体は非常に面白いけれど、やはりこれは「漫画」じゃないよね… こういう描写を、映画ではどう面白くしているのか…(これは映画とは別のエピソード)
@Tomoaky88 なるほどねえ。確かにこちらもテキスト多めではあるけれど、コマ割りや構図、人物の表情など、普通に漫画らしい表現。やはり『ミステリと言う勿れ』がかなり特殊な立ち位置なのか。絵を描くことに飽き、ストーリー作りだけに力を入れたくなったのかしら?