#関谷ひさし 展 第4章「月刊誌時代のスポーツマンガ」。
従来の丸っこいユーモアマンガと、シャープな関谷作品を比較。関谷が後代に与えた影響を可視化したかったのですが、力及ばず。読める単行本を置く手法も今は難しく...。宿題とさせて下さい。
#北九州市漫画ミュージアム
https://t.co/mooOJcEEV5
#関谷ひさし 展 第3章「東京進出ーー学研の学年誌」
新聞漫画で実績を積み、1954年には学習研究社系列の秀文社から『少年太閤記』で単行本デビュー。学年誌や少女漫画誌からも声がかかるようになり、57年には妻子を連れて東京進出を果たします。
#北九州市漫画ミュージアム
https://t.co/mooOJcEEV5
#関谷ひさし 展、第2章は「北九州時代ーー『まんが新九州』からの出発」
新九州新聞社発行の『まんが新九州』投稿欄で頭角を表し、同社へ就職した関谷の、1950年代の作品群を展示。洒脱な描線と動きのある表現は、この頃すでに芽吹いていました。
#北九州市漫画ミュージアム
https://t.co/mooOJcn43x
#関谷ひさし 展、8/19水からの後期展示の前に、前期のみの作品をお届け。「愛犬ボロー」(『デラックス少年サンデー』1970年1月号)。コマごとに変わる背景の色彩が、コロコロと動く少年の豊かな表情のようで、実に細やかで愛らしい。
#関谷ひさし
#北九州市漫画ミュージアム
https://t.co/mooOJcEEV5
関谷ひさし展の展示作品から、書誌未詳の「珍遊記」。体裁から新聞の類であろうし、絵柄は1950年代かしら...手がかり無し。なお第1話は戦国時代劇の趣向だが、回が進むと(いきさつは不明ながら)ちゃんと「西遊記」になる模様。
#関谷ひさし
#北九州市漫画ミュージアム
https://t.co/mooOJcEEV5
#北九州市漫画ミュージアム で寄託収蔵する #関谷ひさし 原画は約1万6千点。未単行本化作品が大半で、書誌不明なものも多い。この原画も欄外の書き込みから『少年少女新聞』掲載の「スポーツ王くん」としか分からず、年代は絵柄から60年代後半と推定。今後も根気よく調査。
https://t.co/mooOJcEEV5
70歳代の #関谷ひさし が、出版予定はないままにコツコツ描きためた遺作「侍っ子」(2008年)。その原形とみなせる作品が「バカうけ用心棒」(『週刊少年キング』1976年)。浪人と少年の軽妙な人情劇という同じ趣向で、絵柄は洗練を重ねている。
#北九州市漫画ミュージアム
https://t.co/mooOJcEEV5
町山智浩さんのコメントにちなんで、 #関谷ひさし 作品のヒロインを展示原画から。「小さなドラゴン」(『少年キング増刊』1975年)と「リリーフサッちゃん」(『小学五年生』他、65-66年)。年代を問わず潑剌たる女性を描き続けた関谷先生なのです。
#北九州市漫画ミュージアム
https://t.co/mooOJcEEV5 https://t.co/rRgC1ynHKy
ゆうきまさみ先生のコメントにちなみ、#関谷ひさし 展の展示原画から、漫画絵の「ケンカ泰平」(『COM』 1969年1月号)と、劇画絵の「つき」(同10月号)を。昭和30年代の印象が強い作家ですが、69年の時点でこの画力とこの幅広さであったのです。
#北九州市漫画ミュージアム
https://t.co/mooOJcEEV5 https://t.co/JTsFShHPJ2
関谷ひさし「Go!Go!ミス・ダンプ」(神保史郎原作、『KINGオリジナル』1975-76年連載)。時期的に「トラック野郎」ブームをふまえての企画でしょうが、この颯爽たるヒロインは関谷ならでは。子供とお爺さんのコンビも得意中の得意。
#関谷ひさし
#北九州市漫画ミュージアム
https://t.co/mooOJcEEV5
関谷ひさし「ブーンの新冒険[別題 勇敢なブーン]」(『毎日小学生新聞』1956年連載)原画。絵物語の定番・秘境冒険ものとあって、絵柄に山川惣治の影響も感じさせる。ダイナミックな構成が小気味よいですね。
#関谷ひさし
#北九州市漫画ミュージアム
https://t.co/mooOJcEEV5
関谷ひさしの出世作「ジャジャ馬くん」(『冒険王』1958-63年連載)原画。三段組なので別冊ふろく掲載分ですね。あだ名通りの暴れん坊で、野球以外にこういうシーンも多い。今の眼で見れば素朴な表現ですが、イイ動きをしております。
#関谷ひさし
#北九州市漫画ミュージアム
https://t.co/mooOJcEEV5