昨日のつづき、2ページ目です。はじめの2コマは「彼女」のセリフをマンガで表現するとこうなります。「まるで自分の体がふたつにわかれていてね」、ということです。この2コマでは「僕」と「彼女」が別々のコマにいるように配置しています。3コマ目では「遮断」機で、分かつイメージ。→
→つづくコマでもふたりは別々のコマにいて、一緒にいるのに一緒にいないというイメージで描いています。「我々は飯田橋で右に折れ、お堀端に出て、それから神保町の交差点を越えて御茶の水の坂を上り、そのまま本郷に抜けた。そして都電に沿って駒込まで歩いた」と小説にありますので、→
村上春樹の「螢」』解説、昨日につづき3ページ目です(前回はこちら
https://t.co/P9ifOH8O2B )「彼女」と「友人」は幼なじみの恋人で、まさに半身=「ふたりでひとり」というイメージです。なのでふたりをくっつけた状態でひと筆描きにして(1コマ目)、一方の行方は「友人」の死で行き止まりに、→
→この位置にあたるコマには「!!」とか「は?」みたいな吹き出しが入ってます。だから浦沢さんのマンガってどんどんページをめくっちゃうんですね。すごい技術です。英語だとpage-turner(読みはじめたらとまらない本)という言い方がありますね。で、さて、ここまで読んで→
ワニが流行っているらしいと聞いたので…。拙著『カフカの「城」他三篇』から『ドストエフスキーの「鰐」』。鰐に飲みこまれたまま国を憂う男の話です。ドストエフスキーぶっ飛ばしてて最高に笑えるんですよ。
いま見たら拙著『祈りと署名』『夜よる傍に』『耳は忘れない』『カフカの「城」他三篇』はAmazon在庫ゼロですね。もうないのかな。たぶん重版はかからないと思います。『カフカ』以外は電子書籍があるので、そちらでもどうぞ。
「過去というものは、とても慰めになる」とミメンは言った。「未来がなにも与えてくれないときには」
「セリー」1-①
気候変動による世界の終わり、カケルとヒューマノイドのセリーはただ本を読みつづける。ほかに生きている者はいるのだろうか――というSFです。こんなときだけどというべきか、こんなときだからというべきか、すこしでもお楽しみいただけたらうれしいです。1話目と2話目を公開します。