【少弐景資】文永の役で日本軍の総大将として出陣、敵将・劉復亨を射倒したというが、乱戦の中のことで判然としない。元寇は、いわゆる神風を勝因としがちだが、「たんなる自然現象である大風雨を神風たらしめたのは、日本武士群の武勇であった」と海音寺潮五郎は断じている。
【内藤家長】弓の名手として知られる。長篠合戦では物見の武田兵を一矢で追い払い、二俣城攻めでは敵将・依田信蕃に弓勢を称賛された。小田原征伐では秀吉から「容貌将帥の器に当れり」と、鉄砲三十挺を賜った。関ケ原役での伏見籠城戦で討死。家康への忠義を貫いた。
【母里太兵衛】黒田長政が江戸で習った謠を披露したところ、重臣たちが追従するなか、忠臣で名高い母里太兵衛は「家臣が媚びへつらう家は滅びる」と泣いて諌めた。長政も反省して太兵衛に脇差を与えたという話が、『黒田家譜(巻十五・長政遺事)』に納められているので倣って描いた。
【血鑓九郎】松平清康から家康まで三代に仕えた長坂信政は、合戦では槍に血がついていないことがないというほど勇敢であったので、清康より血鑓の異名を賜った。以後代々世襲する通称となる。寛政重修諸家譜には茶利九郎とも記されている。
自分が昔から描いている忠勝はこんな感じだけど、今回は男前にしました。添付の漫画、少し文章直してます。
【猫の日】島津義弘は、慶長の役で時刻を知るために、猫を連れて行ったといわれている。ともに生還した二匹の猫を祀った「猫神神社」が鹿児島仙厳園内にある。