4月22日 四天王寺聖霊会 当日
文花は受付横の書籍販売ブースにおります❗ご希望あればサインなどさせて頂く予定です。会いに来てね😉
最終回の1コマ。
1400年もどうして聖霊会、天王寺舞楽が続いてきたのか?グッと来る言葉でした✨
コラムに添えた玉輿と鳳輦の図。かつて行列の中心であったが、現在は先に六時堂内に安置されます。 法隆寺聖霊会では八部衆が担ぐようです。#四天王寺聖霊会行道図
四天王寺の声明は何故天台宗系なのか?
どんなことを唱えているのか?
博士(声明譜)を添えて解説しています。
#絵で見る四天王寺聖霊
掃部、長者。稚児が扮していたり、朱傘を差し掛けられる重要な人たちです。「聖徳太子以来」四天王寺と関わる方々が今もなおいらっしゃるのが驚きです! #四天王寺聖霊会行道図 #聖徳太子以来
先日ポストした試みの湯の絵。袈裟の上のに中灯さんが書いた交名が置いてあります(福岡隆聖師の絵を参考に描いたもの)
中灯さんが書記係と言われる所以はこれでしょうか。灯火の元で書記をするから中灯というらしい。←ホントかどうか?聞いた話です😊
御上帳(みじょうちょう)
御手水(みちょうず)
お目覚めになった聖徳太子に
手水を促します。そこにおられるかのようにおもてなしします。
#絵で見る四天王寺聖霊会
仏足石歌体の説明。
薬師寺期間誌のマンガから。
奈良時代の仏足石歌碑ですが、江戸時代に発見されたって最近じゃないかw
薬師寺にこの21首。
万葉集にも1首だけ仏足歌体がある。
そしてお水取りに2首。
他にもあったら教えて下さい😊
先の舞楽が終わり、
最初の行事鉦が打たれます。この時だけ掃部(かもん)役の男の子が鳴らします。
楽舎では『十天楽』が奏されます。
当時、お寺の奉仕活動をする青年衆と呼ばれる学生で、「木ノ本圭子」 という名前でしたが、結婚して、得度もしてすっかり名前が変わりました😅