あの世界の日本にもそういう文化的営為はあったのだなあと感じ入らせてきたコマ #九州だと禁圧されてそう
斜に構えて、一般人は見下し、より知識のある層に会えばイケ好かないインテリ気取りなどと強がってみせるような、孤高を気取る中途半端なオタク(あるいはサブカル)が、抵抗なく自分を「普通」側に置きたくなる強烈な個性との出会いによって、肩の力の抜けたただの趣味人に近づき他者と交わる物語……
シーズン1の時点で既に表現されていたところの外側への無関心さというか周りを知ろうという気のなさ…… #その気がないというよりは単に自分本位なので目に入らないというだけのことだろうと思うが・・・
進学校的な空気に斜に構えて「アカデミックなあすなろはおらんのか」とか言ってみつつ、大手のシネマサロン部に「インテリぶったイケ好かない連中」と言ってみせたり、ある種の古典的な「サブカル」的自我がよく表出されていると言えますね。
整合性を取ろうとしてみるなら、単に「クラスにそういうやつ(映画趣味)がいない」というのを、独り言が多くて浮いている立場の肥大化した自我が語った結果が冒頭のアレという程度でよさそうな気はする。
いざ注文しようとしたら、「馬刺しが今なくなっちゃってて」と言われてガーンだな、出端を挫かれた、と士気がだだ下がりしたところでした。
『曹操孟徳正伝』の劉備は実に乱世の奸雄でよいのだが、問題として結局はごく脇役であり、脇役なのに局所的にクローズアップしてもらえているだけなので、脇役のおともまでは手が回らず関・張がただの劉備のおともの小物と化しているというのがある。劉備が関羽を持ち上げても、小物にしか見えない。
これは要するに、蒼天劉備を「反体制というイデオロギーで大衆その他を糾合するカリスマポピュリスト」扱いするという話になるわけで、それが「生活保守的勢力の孫呉の横やりで倒れる」という筋書きになるわけですが、定軍山での夏侯淵との問答なんかそこを象徴させるに相応しい箇所と言える。
ロシア指導部 「 超 大 国 に 降 れ い 」(*核ミサイルのメタファー)
これだこれだ。昨年末來、ロシアの積極姿勢を見て何度このシーンが脳裏をよぎったことか。