これで読まないのもアレなのでちゃんとPV一人分くらいにはなっておくかと思ってググって見に行ったのですが、脳がそういうモードになってしまっているので、とりあえずと思わずこういうSSを撮ってしまう。
これはそう。まあ数パターンなら問題ないけど。絵で全員まちまちな装備のモブとか気合い入れた時の三浦建太郎とかじゃないとやってられないというのはある。
ただまあ、唯一、中国の描き方については今となっては「ファンタジー的」なステレオタイプだったと言わざるは得ないですな。 #悠久の五千年の視野
まあ、もちろん、「アフガニスタン侵攻も大成功だった。ビンラディンを討ち果たしたし、予定の期日通りに撤退できた。テロに対する戦いの勝利だ」という話がお望みなら左様ですかとしか言いようがないが……
なお異常医療村からただの僻地村落へと変質する中で、村人の排外力も当然衰えており、いずれ「しきたり」もなくなっていくのだろうと思う。
「一也はKAZUYAではない(一人の個人であれ)」という話は何度も繰り返されていますが、「一也は次代のKとして立派になれ」という話もされない。この磯永の「Kを育ててやる」に対する「もう医者だ」は、そういう対比でしょう。一也は一人の医者であって、「スーパードクターK」ではないということ。
当代Kの一人がかつてのKたちのように世界を股にかけるようになっていたなら話は別だったろうけれど、一人は裏K家の者であることをやめることはなかった。言い換えると、僻地医療者であることをやめることはなかった。
結局、そう長からずしてクローン組織は成敗され、KAZUYA時代の医療技術の限界とそこからの進歩が主軸になり、次いで新しいグランドストーリーの軸は一也のアイデンティティ等の個人の主体性の話に移行した。そして「往年からの進歩」は概ねやり尽くすと、ただの最先端医療のアップデートの話になる。