まあ、もちろん、「アフガニスタン侵攻も大成功だった。ビンラディンを討ち果たしたし、予定の期日通りに撤退できた。テロに対する戦いの勝利だ」という話がお望みなら左様ですかとしか言いようがないが……
なお異常医療村からただの僻地村落へと変質する中で、村人の排外力も当然衰えており、いずれ「しきたり」もなくなっていくのだろうと思う。
「一也はKAZUYAではない(一人の個人であれ)」という話は何度も繰り返されていますが、「一也は次代のKとして立派になれ」という話もされない。この磯永の「Kを育ててやる」に対する「もう医者だ」は、そういう対比でしょう。一也は一人の医者であって、「スーパードクターK」ではないということ。
当代Kの一人がかつてのKたちのように世界を股にかけるようになっていたなら話は別だったろうけれど、一人は裏K家の者であることをやめることはなかった。言い換えると、僻地医療者であることをやめることはなかった。
結局、そう長からずしてクローン組織は成敗され、KAZUYA時代の医療技術の限界とそこからの進歩が主軸になり、次いで新しいグランドストーリーの軸は一也のアイデンティティ等の個人の主体性の話に移行した。そして「往年からの進歩」は概ねやり尽くすと、ただの最先端医療のアップデートの話になる。
「K」という実体が事実上なくなっているのに、一人は「影は実体があってこそ」「私は影」と言う。このシーンが示しているのは、この時点で彼にとっての「実体」は「表の世界で生きるスーパードクターK」ではなく、「村」だったことだと言える。
KEIは裏K家流について何も知らず、Kとして活動していないというのに、一人は「いずれ話さねば」とは言うもののKAZUYAが死んで5年間も接触することなく、「決して交わることのない」とか「この村でしか存在してはいけない」とか言っていると。
そう、暗黒クローン組織は存在する……だが暗黒クローン組織の円卓委員会ですら彼らなりの信義や仁義を持っているのがK世界……
古典的少年医者漫画だと、Kと道尾先生とのコントラストを作るために他の医者が緊急時には役立たずな風に描かれたりするよね。BJだったら院長とかまず性悪になってるとかそういう感じで。それがこれですからね。