「K」という実体が事実上なくなっているのに、一人は「影は実体があってこそ」「私は影」と言う。このシーンが示しているのは、この時点で彼にとっての「実体」は「表の世界で生きるスーパードクターK」ではなく、「村」だったことだと言える。
KEIは裏K家流について何も知らず、Kとして活動していないというのに、一人は「いずれ話さねば」とは言うもののKAZUYAが死んで5年間も接触することなく、「決して交わることのない」とか「この村でしか存在してはいけない」とか言っていると。
そう、暗黒クローン組織は存在する……だが暗黒クローン組織の円卓委員会ですら彼らなりの信義や仁義を持っているのがK世界……
古典的少年医者漫画だと、Kと道尾先生とのコントラストを作るために他の医者が緊急時には役立たずな風に描かれたりするよね。BJだったら院長とかまず性悪になってるとかそういう感じで。それがこれですからね。
@pa_so 分析したら、「スープの融通無碍性がどんぶりご飯ものより高かったから」とか何とか、何かしら現実現在の正当性を説明する理屈はつけられるかもしれないけれど、それはそれとしてこういう文化本質論にはならないだろう、ということ。
今思えば、栗田ゆう子のラーメン屋評、ただの一人飯誹謗であって別にラーメン誹謗ではないな……冷静に考えたらこの「異常性」は当時でも、牛丼屋でもなんでもスタンド系の一人食店ならあらかた当てはまった筈で、ラーメンが「専門店」を社会ブーム規模で生み出して雁屋哲の目に止まっただけだろうし。