@pa_so 分析したら、「スープの融通無碍性がどんぶりご飯ものより高かったから」とか何とか、何かしら現実現在の正当性を説明する理屈はつけられるかもしれないけれど、それはそれとしてこういう文化本質論にはならないだろう、ということ。
今思えば、栗田ゆう子のラーメン屋評、ただの一人飯誹謗であって別にラーメン誹謗ではないな……冷静に考えたらこの「異常性」は当時でも、牛丼屋でもなんでもスタンド系の一人食店ならあらかた当てはまった筈で、ラーメンが「専門店」を社会ブーム規模で生み出して雁屋哲の目に止まっただけだろうし。
傍証あったわ(ミナカトール習得シーケンス) https://t.co/oZR9reyn2y
定番史料の1712年成立『和漢三才図会』(第百五巻)によると、「按蒸餠即饅頭無餡者也、阿蘭陀人毎用㆓一箇㆒為㆓常食㆒彼人呼曰㆓波牟 / 按ずるに〔※前置き定型句〕蒸餠即ち饅頭に餡無きものは、阿蘭陀人つねに一箇を用いて常食となし、彼の人呼んで波牟(ハン)と曰う」。 https://t.co/SrRXtIqQ3I