1936年(昭和11年)の阿部定事件の報道です。当時の新聞をそのまま貼りますので、記事の詳細を見たい方は拡大してごらんください。文字面だけでもおどろおどろしさ満載です。グロ物件という記述も今から見ると凄いです。
1936年(昭和11年)。「東京女子就職案内」という本より。カフェーの女給さんの案内が書いてあります。収入の全が客からのチップというのが大きな特徴でしょう。ただ収入は最低でも100円(今だと30万ちょいぐらいでしょうか)ということでかなり高収入が期待できる仕事だったようです。
1934年(昭和9年)、『少女の友』より「御存知ですか」という豆知識コーナーです。創刊100周年記念復刻号より。
この間古本市で買った1933年(昭和8年)発行の、旧制中学生向けの図学の教科書です。表紙に3とありますので、おそらく3年生向けでしょう。
(今の中三と同じ年です)。
非常に状態がよく、これが200円で買えたのはラッキーでした。
それはそうと問題なかなか難しそうですね。
前アップしたものですが、昭和2年と昭和4年の東京朝日新聞です。当時の世相が分かるかと思います。闇討ちは怖いですね。
1940年(昭和15年)。外国風や皇室風の名前の芸能人が改名を迫られました。字がかすれてて見にくいですが当時の新聞記事です。ミス・ワカナの「カタカナが駄目なら美須若菜とでも変えたらいいでしょう」は皮肉が効いています。
1933年(昭和8年)。いわゆる「不良華族事件」の記事です。このスキャンダルの中心人物と言われた吉井勇伯爵の婦人・徳子の見解が載っています。記事では「エロ行状」と書かれていますが、自由闊達な性格が伝わると思います。彼女の叔母があの柳原白蓮で、白蓮は姪の行状について謝罪しています。
1929年(昭和4年)の名古屋新聞より。1面全てカフェーの広告です。当時のカフェーの隆盛ぶりがわかると思います。
1941年(昭和16年)。李香蘭の来日公演が日劇で行われましたが、なんと10万人が劇場に押し寄せ負傷者も多数出ました。その新聞記事ですが、翼賛会の「学生は休日は本でも読め」という訓示と「娯楽をなくすな」という反論両方が載っています。