1936年(昭和11年)。「東京女子就職案内」という本より。カフェーの女給さんの案内が書いてあります。収入の全が客からのチップというのが大きな特徴でしょう。ただ収入は最低でも100円(今だと30万ちょいぐらいでしょうか)ということでかなり高収入が期待できる仕事だったようです。
1953年(昭和28年)、いわゆる「バカヤロー解散」のときの候補者新聞広告です(愛知県)。わざわざ自由党(〇〇派)と表記してあるところが当時の党内の対立を物語っています。伏してお願いというのも面白いです。
1931年(昭和6年)の主婦の友より、再度「新時代語辞典」のコーナーです。モチ、コケット、ポシャル、ダベルなどいろいろと取り上げられています。
1970年(昭和45年)6月の雑誌の広告より。ナショナルゴールデン劇場というドラマ枠の新番組の宣伝のようです。
久しぶりに新聞です。昭和8年10月の東京朝日新聞より。新渡戸稲造博士カナダで客死、女の悲鳴を乗せて走る怪自動車、絶食戦術で警察を悩ませる共産党員に鼻からの食物注入成功、メチルアルコール入りの悪質酒の摘発など。
1929年(昭和4年)の名古屋新聞より。1面全てカフェーの広告です。当時のカフェーの隆盛ぶりがわかると思います。
1933年(昭和8年)。いわゆる「不良華族事件」の記事です。このスキャンダルの中心人物と言われた吉井勇伯爵の婦人・徳子の見解が載っています。記事では「エロ行状」と書かれていますが、自由闊達な性格が伝わると思います。彼女の叔母があの柳原白蓮で、白蓮は姪の行状について謝罪しています。
1936年(昭和11年)の阿部定事件の報道です。当時の新聞をそのまま貼りますので、記事の詳細を見たい方は拡大してごらんください。文字面だけでもおどろおどろしさ満載です。グロ物件という記述も今から見ると凄いです。
1932年(昭和7年)。「躍進する大東京市」より。先日板橋区をアップしましたが今回は向島区(現・墨田区北部)です。とにかく玉の井玉の井玉の井。臭い街だとも書いてあります。3枚目の工場っぽい写真は紡績工場です。