なおこの場面の背景にドラッグストアというのは原作からある要素ではある。
先述の通りアニメ版ではその意味合いの押し出し方が顕著にわかりやすくなってた(原作から元々そういう意味合いだったのかはちょっとわからない)。
チェンソーマン6話、パワーの「違うが?」の声と(続く荒井を前においての場面も含め)表情、あと「スッパイじゃ」のところも……"人ならざる魔人"という雰囲気と怖さが出てて(原作は別に怖さは押し出してない感じだったのでまた別物かと思えつつ)面白かった。
チェンソーマン111話「アハハハハ」。
添付1枚目の部屋の外から眺めているような視点の画。
そして2枚めの鳥たち。
マキマさん同様、支配の悪魔/ナユタさんが観ている、ということだろうなー。
ぼっち・ざ・ろっく!6話。
ネットでおなじみの例のネタ、完全版に。
これも、今回はひとりが勝手に想像で壁を作り目を落とし、閉じて、内へ内への負のスパイラルに籠もる所から半歩(あるいは目の片方)だけでも抜け出して、という話だったので、場にあった描写にもなってた。
#ぼっち・ざ・ろっく
ぼっち・ざ・ろっく!アニメ6話「おにころ(鬼殺し)5本分以上のライブ、期待してるよ」
原作「パック酒15本分以上のライブ期待してるから…」
なんか知らないけど飲む酒が代わってたな。
#ぼっち・ざ・ろっく
ちなみに路上ライブの場面、アニメではひとりは結束バンドの仲間たちが向け続けてくれている思いもしっかり改めて感じ取っているけど、原作では目に入るのは周囲の観客たちの笑顔だけであったりする。いつもながらアニメ版、良い翻案がされてるね。
#ぼっち・ざ・ろっく
面白いことになってるみたいだ。
※なおこの「藤本タツキ」アカウント、林子平(担当編集)アカウント、中山竜(アニメ『チェンソーマン』監督)アカウントにフォローされてる。
スローループ7巻。
https://t.co/v4REjmH1hY
49話「わがまま」でのこのページ。
すっと伸びて魚を捕らえた釣り糸で、分かたれるでなく繋がる「父」と「娘」。
まさしく「釣りと家族の物語」として最高に見事な画で、素晴らしかった。
DIY、せるふの家で飼われている、豚肉料理が出る度に震えている豚の「ミート」。『エクセル・サーガ』のメンチが思い出される存在でもあるな、そういえば。
#diyアニメ
で、その上で。
https://t.co/F7tK04Orr8
ライブ場面で後藤ひとりの見出した答えも原作(添付)からアニメは大きく変わっていて。
「今も。人気になってちやほやされたい、っていうのは変わりない」
「でもそれは…私だけじゃない」
「この四人でだ!」
「結局成長ってなにか、わからなかった」
ぼっち・ざ・ろっく!5話、夜の自販機前の会話。
原作(はそもそもSTARRY内での会話で場所を移していない)だと確かに虹夏の割と一方的なひとりへのカウンセリングというかアドバイス、後押しな色合いが濃い。
それがアニメでは、虹夏自身が自分の在り方を探る形にもなってると思う。
まず、