今宵の漫画版 #ナウシカ 考察は上人編の続きで、ナウシカの内なる虚無が「わしたちは同じもの」と言ったことの意味を掘り下げてみたいと思います。実はそこには期せずして、この世界の「秘密の核心」に迫るものがあるのですが…以下順に見ていきましょう。
この問題を乗り越えたナウシカが語る生死観こそが、墓所と対峙した際の「いずれ死すべき者として、それでも目一杯「現在」を生きること」となるわけです。その意味では、虚無との対話(?)は最終決戦に向けた、避けがたい「試練」だったと言えるのではないでしょうか。
翻ってナウシカと「虚無」との対話(?)ですが、ここでも死を救済・安寧として説く虚無に対し、ナウシカは「生」を訴え反駁します。それに対し虚無は鋭く糾弾します。生きるためにおのが手を血に染め、屍の上を歩いてきたお前がそれをヌケヌケと語るのか?と。
即ちミラルパは自らの死=帝国の崩壊を恐れる余り延命を繰り返した末、帝国に圧政を敷き続ける晩年を過ごします。また墓所は「人類という種の永続(或いは浄化世界の完成)」という未来の目的だけを見続けた結果、現在を生きる生命を「浄化の途中経過」として等閑視するに至りました。
そうした「死なないこと滅びないこと」が自己目的化し、「生」を見失った極北が、例えば神聖皇帝ミラルパであり、更には本作のラスボスである「墓所の主」となります。
寧ろ実際の上人は「神に仕えるため」自ら盲になる苦行を受け、また土鬼皇帝からの弾圧を受けても決して折れず耐え続け、加えて人生の最期に自分に反駁を加えた少女を「優しく猛々しい風が来た、永く待った甲斐があった」と歓迎までしており、死を救済とみる姿勢とは対極的ですらあります。
午後はお休みいたどいて歯医者へ。何度来ても慣れませんが、心の中のナムリス様に励まされて(寧ろ煽られて?)行ってまいりました。
末期ガンに冒された逃亡50年の爆弾テロリストが、死を前に「忘れ去られたくないがために」自ら名乗り出た話。個人的には悲哀どころか醜態というか、最後っ屁の悪足掻きにしか見えない。最近見た例だと(比べるのは失礼かもだが)ブラクラのルプスですかね…
政府の広報・御用媒体になりたくない?そりゃ結構ですが貴方たち自身の「正しさ」って何が担保してるんですか?情報の収集・分析への信頼なら、自ら叩き売ってぶち壊してますよね?
「いまこそまさに」北陸四県を対象とする復興割が必要な理由。日常=囲いの外で戦える生活を取り戻すため。
「一番重い荷物をおろせ」とは安倍晴明さんも腹黒い言い回しをされるというか立派な「宮廷政治家」ですな。フリーレンのデンケンさんみたいな感じが。
#光る君へ