これに対する僧会側の回答は
・あんなの初歩的なミス
・王蟲神聖視してないか?邪教捨てずに皇帝に逆らう気か?
と、「木で鼻括る」レベルではない全否定・ゼロ回答です。
この前段で、僧正は僧会幹部に対し、培養幼生王蟲を囮として王蟲の群に敵を襲わせる作戦は、「味方の被害が大きすぎるので」暫し再考してほしいと要求します。一部は建前とはいえ、部族民の命を預かる側としては当然の訴えでしょう。此方も全滅では何のために戦うのか判らなくなります。
この時の僧正は皇帝の命を受けて諸族をーそれも故郷を敵に奪われ家族を殺された復讐心に燃える人々ーを率いてトルメキア軍攻撃に向かっており、ナウシカが如何に訴えたとて「攻撃中止・撤退」に転じ得ないのは当然ではあります。
まず注目されるのはナウシカとの出会い。この時、マニ僧正は酸の湖に宿営するトルメキア軍を包囲する土鬼諸族軍を指揮するのですが、彼はナウシカの訴えに同情こそすれ、攻撃を緩めることはありませんでした。
たとえ「キモイ」が多数派だったとしても創作・発表出来るのが「表現の自由」なので、「キモイ」が多数なら勝利(笑)という考えは、寧ろ『表現の不自由展』で皮肉られようとした側のそれに近いですね。その意味では、こちらの引用クソリプを含め、全体で一つのアートとも言えます。実に味わい深い… https://t.co/FpbFKBeydv
本日の能楽他流競演、開演前の主催者挨拶で「震災で伝統文化にも打撃を受けた今こそ、文化継承の歴史と価値を再確認し、復興に繋げたい」という趣旨の発言があり、マスターキートンのアレを思い出しました。「敵」を震災に置き換えると、まさに「こんな事で負けない」という決意が相通ずるんですよね。
なんで我々の生活を掛け金にして、今の野党相手に「めちゃくちゃになってもいいから」という実験博打打たなきゃいけないんですかね?人間相手の「実験」ならまず自分一人で実践してください。 https://t.co/gs1jGWemxm
そしてそれは、自らの信仰に対し「違う!私は生きるのが好きだ!私は諦めない!」と反駁したナウシカを肯定も否定もせず、「永く待った甲斐があった、優しく猛々しい風が来た」とあるがままに受け止めた上人の姿勢にも通じます。
ですが、こうした信仰教義は実際には人々に「虚無をはびこらせ」、来世での救済≒厭世願望と現世絶望を深めるだけでした。ここにもまた、上人にまつわる「虚無」が存在します。
何より上人が語る「世界は浄化の過程にある」という教え自体が明らかに墓所ー或いは墓所の知識を元に土鬼王権が組み立てた信仰教義の中に位置づけられるものでした。
再度、上人がナウシカに語った内容を見てみましょう。上人は「土鬼の祖先が奇跡の技をシュワの地下に封印し、それを神聖皇帝が解いてしまった」と語っています。ですが、これは実態ー世界浄化計画の核として墓所に奇跡の技が残されたーとは真逆です。