フジテレビ会見のグダクダ質疑を見て、最近別方面で話題のこのコマが浮かぶ。いや普段あれだけ声高にコンプラだの説明責任だの社会的責任だの説いている連中が、我が身だとコレなのかい?
コレがアリなら今までの企業・団体・政治家の会見なんか叙勲かノーベル賞モノでしょ?
これに比べればエフタル諸族は、「青い衣の者」信仰こそ希薄(ほぼ皆無)ですが、「風の神」をはじめ万物自然を崇敬する様子は随所に描かれており、この点でも土鬼・トルメキアと対照的です。神に加護は願えども「救済」までは最早信じるべくもなく…といったところでしょうか。
ヴ王など、神官団をあからさまに鬱陶しいご機嫌取り集団扱いし「自分を神殿に呼び悔い改めさせたければもっと恐ろしい詩を寄越せ」と嘲笑していますし、一般トルメキア兵も自身を攻囲する土鬼軍の祈禱を驚くほど冷静にー寧ろ冷ややかに見ている程です。連中の祈禱が続くうちは生きていられるな、と。
この泥沼内乱は大海嘯「後」にも悪影響を及ぼします。即ち、残された土地を巡る争いが大海嘯自体より多くの犠牲者を生み、そればかりか恐らくは土鬼やトルメキアの介入により「世界大戦」化、最終的にはエフタル諸族がトルメキアの属国となり、土鬼でクルバルカ王朝が倒れることで漸く終息します。
もしユパの推論どおり、「青い衣の者」が事実に基づく願望、或いは破滅の危機が高まるとき人類が生み出す存在であるならば。300年前に大海嘯と言う危難に見舞われたエフタル地域にも同様の伝承が強く継承されてもよさそうなものですが、なぜ土鬼や「森の人」のようにはならなかったのでしょうか。
実は漫画版における「青い衣の者」伝説の主な舞台は土鬼でありエフタル諸地域ではありません。後はわずかに、「森の人」の始祖が青い衣の者(の一人)に率いられて腐海での生活を始めたという伝承が残る位です。
今まで不祥事を起こして来た企業や団体、皆そうですが?それらの企業や団体に対し、テレビ局はどう接してきたのですか?なぜテレビ局「だけ」、従業員や関係者の生活云々が配慮されないといけないのでしょうか?それは流石にエコひいきが過ぎると言うか、「通らないだろう、いくらなんでもそれは」 https://t.co/qMCc8KfKlp
かくて歴史は繰り返された訳ですが、この事は物語全体の結末にも暗い予感を抱かせます。即ち「果たして、ナウシカ(とチククやチヤルカ達)が土鬼の地に齎した平安は何時まで続いたのだろうか?」「人々は何時まで、腐海の畔で「憎しみより友愛を」保ち続けられたのだろうか?」と。
そう、作中300年前のエフタル大海嘯とその後のエフタル内乱です。大国エフタルの消滅とその後の内乱ー最終的にエフタル諸族はトルメキア王の軍門に下りましたが、果たしてこの状況=トルメキア独り勝ちを土王は座視できたでしょうか?寧ろ勢力拡大の好機と介入した可能性の方が高いと思われます。
この点について、更にユパとクシャナは掘り下げます。「土鬼は古来より死の影の色濃い土地であり、神聖皇帝や土王以前の歴代王権も皆その影に敗れ、虚無に喰われてしまった」と。要は歴代王朝は皆、ミラルパのように高邁な理想を泥沼の現実に粉砕され、恐怖政治に走って自滅していったわけです。
では、なぜ土着信仰≒土王は神聖皇帝・僧会に敗れたのでしょうか。この点についてナムリスは「歴代土王の圧政と狂気に民衆が新王を望んだから」とはっきり述べています。圧政と狂気…まるで神聖皇帝末期と同じ歴史の繰り返しですね。
或いは、初代土王=嘗て存在した「青い衣の者」の一人だったのかもしれません。以上をまとめると、神聖皇帝以前の土着信仰は、
・祖先が邪悪な「奇跡の技」を封印したという武勇譚
・「何れ来る浄化世界」を奉じる終末思想
・終末まで民を導くメシアたる「青い衣の者」=土王
という特徴を持ちます。