今まで不祥事を起こして来た企業や団体、皆そうですが?それらの企業や団体に対し、テレビ局はどう接してきたのですか?なぜテレビ局「だけ」、従業員や関係者の生活云々が配慮されないといけないのでしょうか?それは流石にエコひいきが過ぎると言うか、「通らないだろう、いくらなんでもそれは」 https://t.co/qMCc8KfKlp
かくて歴史は繰り返された訳ですが、この事は物語全体の結末にも暗い予感を抱かせます。即ち「果たして、ナウシカ(とチククやチヤルカ達)が土鬼の地に齎した平安は何時まで続いたのだろうか?」「人々は何時まで、腐海の畔で「憎しみより友愛を」保ち続けられたのだろうか?」と。
そう、作中300年前のエフタル大海嘯とその後のエフタル内乱です。大国エフタルの消滅とその後の内乱ー最終的にエフタル諸族はトルメキア王の軍門に下りましたが、果たしてこの状況=トルメキア独り勝ちを土王は座視できたでしょうか?寧ろ勢力拡大の好機と介入した可能性の方が高いと思われます。
この点について、更にユパとクシャナは掘り下げます。「土鬼は古来より死の影の色濃い土地であり、神聖皇帝や土王以前の歴代王権も皆その影に敗れ、虚無に喰われてしまった」と。要は歴代王朝は皆、ミラルパのように高邁な理想を泥沼の現実に粉砕され、恐怖政治に走って自滅していったわけです。
では、なぜ土着信仰≒土王は神聖皇帝・僧会に敗れたのでしょうか。この点についてナムリスは「歴代土王の圧政と狂気に民衆が新王を望んだから」とはっきり述べています。圧政と狂気…まるで神聖皇帝末期と同じ歴史の繰り返しですね。
或いは、初代土王=嘗て存在した「青い衣の者」の一人だったのかもしれません。以上をまとめると、神聖皇帝以前の土着信仰は、
・祖先が邪悪な「奇跡の技」を封印したという武勇譚
・「何れ来る浄化世界」を奉じる終末思想
・終末まで民を導くメシアたる「青い衣の者」=土王
という特徴を持ちます。
そう考えると、神聖皇帝がなぜあれほど「青い衣の者」を恐れ弾圧したか、土王の子孫を称するチククがナウシカを「白い翼の使徒」と呼んだのかについて、ある仮説が浮かびます。即ち、土着信仰における「青い衣の者」=土王そのものだったのではないかというものです。
実際には、墓所は奇跡の技を封印した場所ではなく、その技を以て建設された世界浄化計画監視のシステムそのものであり、また神聖皇帝含む歴代土鬼王も、実際には封印どころか墓所のパペットに近い存在であり、「封印」とは多分に王権側の政治的虚構でした。
ですが、土着信仰は単なる墓所知識のコピーではありません。それを示すのが「墓所の封印」にかかる伝承です。即ち上人いわく「世界を破滅に導いた奇跡の技を土鬼の祖はシュワの地深くに封印したが、神聖皇帝がその封印を解いた」と語りますが、ここには大きな虚構が存在します。
そしてナウシカの去った後、牧人たちは語ります。ナウシカは戻ってくるだろうか?否きっと戻ってこない…だが彼女は名前を=心を遺していった。だからもしかするといつかはー牧人たちはきっと、その淡い微かな可能性だけを希望に、明日からも生きていくのでしょう。「またつまらなくなった」庭園で。
そのことを伺わせるのが、牧人達とナウシカの別れの場面です。庭園を去るナウシカに、牧人は「貴方の為にこの庭園の入口はいつも開けておく」と心を少しでも遺していくようにー縋る様にー言います。それに対しナウシカは、牧人に対し自らの「名前」を遺していきました。心の欠片を遺していくように…
それは恐らく牧人(やケストたち他のヒドラ)が「心」を持ったゆえの問題でしょう。永遠に自分達だけで人類の遺産を保管し、見守り続けることには耐えがたく、分かち合う「仲間」が欲しい。「心」を持った故の「孤独」「倦怠」という病…それ故に「庭園」には、ヒトが出入りする「隙」が作られます。