そう考えると、神聖皇帝がなぜあれほど「青い衣の者」を恐れ弾圧したか、土王の子孫を称するチククがナウシカを「白い翼の使徒」と呼んだのかについて、ある仮説が浮かびます。即ち、土着信仰における「青い衣の者」=土王そのものだったのではないかというものです。
実際には、墓所は奇跡の技を封印した場所ではなく、その技を以て建設された世界浄化計画監視のシステムそのものであり、また神聖皇帝含む歴代土鬼王も、実際には封印どころか墓所のパペットに近い存在であり、「封印」とは多分に王権側の政治的虚構でした。
ですが、土着信仰は単なる墓所知識のコピーではありません。それを示すのが「墓所の封印」にかかる伝承です。即ち上人いわく「世界を破滅に導いた奇跡の技を土鬼の祖はシュワの地深くに封印したが、神聖皇帝がその封印を解いた」と語りますが、ここには大きな虚構が存在します。
そしてナウシカの去った後、牧人たちは語ります。ナウシカは戻ってくるだろうか?否きっと戻ってこない…だが彼女は名前を=心を遺していった。だからもしかするといつかはー牧人たちはきっと、その淡い微かな可能性だけを希望に、明日からも生きていくのでしょう。「またつまらなくなった」庭園で。
そのことを伺わせるのが、牧人達とナウシカの別れの場面です。庭園を去るナウシカに、牧人は「貴方の為にこの庭園の入口はいつも開けておく」と心を少しでも遺していくようにー縋る様にー言います。それに対しナウシカは、牧人に対し自らの「名前」を遺していきました。心の欠片を遺していくように…
それは恐らく牧人(やケストたち他のヒドラ)が「心」を持ったゆえの問題でしょう。永遠に自分達だけで人類の遺産を保管し、見守り続けることには耐えがたく、分かち合う「仲間」が欲しい。「心」を持った故の「孤独」「倦怠」という病…それ故に「庭園」には、ヒトが出入りする「隙」が作られます。
にも拘らず、「庭園」には初代神聖皇帝や森の人が迷い込んだり、或いは牧人自身がナウシカを引き入れたような「隙」があります。これは明らかに意図的or未失の故意と言えるレベルでしょう。では何故、そうした「隙」を「庭園」の管理者たちは作り出すのか?
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