この点で示唆的なのはナムリスの被る「戦闘用ヘルメット」でしょう。巨大な単眼で目の周りを覆いながら、ヘルメット各所に設けられた眼球状のモニターが周囲360°を常時監視する…不審と監視の象徴としての「目」をコレほど具現化したものは無いでしょう。
こうした僧会信仰のアンビバレンツさ、或いは教義の「反転」を象徴するのがシンボルとしての「目」です。即ち、僧会では神像や面布、都シュワの装飾まで「目」が装飾として重視されています。
しかもそれでいてミラルパは、「僧会による民衆教化が徹底すれば邪教を払拭し、帝国は安定する」ともまだ考えている訳です。正に自分で吐いた嘘に自縄自縛になる、これが悲劇でなくてなんでしょうか(兄ナムリスはこの上ない喜劇として嘲笑していましたが…)
しかし何より大きいのは、教祖たる皇弟ミラルパ自身が「よりよい来世」を欠片も信じず、「老いと死を誰よりも恐れる」有様だからでしょう。まあ幼少時に目の前で実父が肉体崩壊(!)するトラウマ見せられては仕方ないとはいえ、唱える本人すら信じていないものが、どうして人の心を救えるのか。
理由としては様々あります。一つには戦乱、疫病の蔓延など土鬼民衆を取り巻く余りに過酷なーそれこそ現世に絶望したくなるー環境があります。また、教化を担うべき僧会が保身と収奪に汲々とする腐敗組織()であったことも大きいでしょう。
ですが、この「教え」は「よりよい来世≒極楽往生」だけを希求する厭世志向に反転していきます。それは正に、チヤルカが焦燥を覚えた様に「人民に虚無をはびこらせただけ」という絶望的状況でした。なぜこうなったのか…?
ではそれはどんな教義だったのか?これは以前も考察しましたが、ナムリスの告白から伺うに「より良い来世を迎えるために現世をよりよく=体制に従順に生きよう」だと思われます。「死ねば必ず生まれ変わる」ことの強調は、よりよい来世の為の現世における徳業累積への要請を正当化するからです。
土鬼僧会の大きな目的の一つに、「邪教」=土着信仰の払拭があります。とりわけ救世主信仰である「青き衣の者」信仰は、これを旗印にした反乱を引き起こしかねないため、その払拭・民衆教化が重視されました。
先週の「青き衣の者と白い翼の使徒」信仰編に続き、今宵の漫画版 #ナウシカ 考察では、土鬼僧会の教えについて改めて考えてみたいと思います。土着信仰と対照的な「為政者の教え」、その実態や如何に…!
こうした「白い翼の使徒」信仰が持つ、皇帝権力との対立を避ける志向は、この信仰に厭世的・彼岸的傾向を強めさせた戸考えられます。事実、大海嘯に絶望した民衆は使徒=ナウシカを極楽浄土への案内人、「死の天使」と見ていました。
とはいえ、やはり「青い衣の者」と「白い翼の使徒」は、その信仰の方向性が似通っています。このため、前者を敵視する土鬼皇帝という「タガ」が外れるや、土鬼民衆はたちまち「ナウシカ=青い衣の者=白い翼の使徒」とする三位一体説(?)を表明しだします。
一方、「青い衣の者」には民衆を導く指導者・メシアという面が強くなります。それゆえ土鬼皇帝は「青い衣の者」の「容疑者」が出るや反乱指導者として大騒ぎし、その都度八つ裂きに処してきたとされます。