【補遺】蟲使いとヒドラ使いはどちらも「チッチッ」という音で相手を操ります。因みに腐海の他の蟲達も光と音に敏感で、蟲笛や光弾が護身用に使われます。こうした「類似性」は彼等が共通の祖先ー旧世界末期の生命工学の産物ーを持つことを示しているのかもしれません。
#ナウシカ
【補遺②】蟲使いの出自について、大ババ様は王蟲乱獲でエフタル大海嘯を招いた武器商人の子孫としますが、これが本当かは疑問が残ります。もし自らが腐海の「怒り」を招いたなら敢えてそこに棲むかという点は勿論、「呪われた武器商人」という表現に定住民側の差別意識正当化が疑われる(続く)
また、彼等は腐海の秘密=浄化の機能とその最終形たる「青き清浄の地」を知るなど、ナウシカ世界の核心に迫る情報を掴む、啓蒙された「知の人々」でもありました。文明との接点を絶ちながらある意味最も文明的というのも、なかなか不思議なものです。
そんな彼等に「危うさ」などあるのか?実はそれが顕になるのが庭園での牧人の告発です。彼は言います。今まで何人もの「森の人」がシュワを目指す途中でこの箱庭に囚われ、火を捨てても決して得られなかった平安を得て良き園丁となり死んでいった、と。
牧人の云う「火を捨てても得られなかった平安」とは、恐らく彼等が遂に到達し得ない「青き清浄の地」をこの庭園で得られたことにあります。そう、実際の腐海尽きる地は、「清浄過ぎて」森の人達にすら物理的に耐えられないのです。
もしそうだとしたら、例え火を捨てて腐海と共存できたとしても、そのことに何の意味があるのか。実はそこに「意味」を求める時点で墓所と同じ罠に嵌まりつつあるのですが、そんな彼等に他ならぬナウシカからトドメが刺されます。即ち、腐海は世界浄化のため「だけ」に人間が作り出したものであると。
これに対し、セルムからは強い不信感が示されます。神聖な腐海を、偉大な王蟲を愚かな人間が作ったなどとは!腐海を神聖視し、その一部として生きることに誇りを持つ森の人には中々にして受け入れがたい話ですが、これが彼等の今一つの「危うさ」になります。
即ち、彼等は腐海と蟲を「愚かな人間が汚した世界を浄化するために生まれた神聖な存在」として信仰しており(それ自体が厳しく云えばトルメキアの神官達が唱える天罰論(?)の裏返しにしかならないのですが)、そのことが腐海の「真相」から目を背けさせていたわけです。
また、「神聖な役目」に重きを置く点はナウシカの内なる「虚無」や、墓所の思想に無意識に連なっています。個々の生命より全体の「流れ」を、現在という「過程」より未来(浄化世界に生きられないという焦燥)に囚われている点で、実のところ「森の人」は墓所(まして牧人をや!)には対抗し難いのです。
そんなセルム達森の人も最後はナウシカを信じて、墓所へ共に向かいます。ナウシカの推論に同意したかは微妙ですし、まして墓所で得た「真実」はナウシカと二人だけの秘密にしてしまいましたが、ユパの言葉を借りれば「ナウシカにはなれずとも同じ道は歩んむことはできた」訳です。
お早うございます。最近、仕事場でのお偉方からの無茶振りが増える一方ですが、タイユラン先生的強かさでするりと躱していきたいと思いまする。